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必然の偶然 偶然の必然  2010/09/11(土)
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おたより  2010/08/14(土)


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whev.comのトップが少し変わり数ヶ月経ちますが、まだ気がついていなかった人は一度チェックしてみて下さい。

そこのWHEV-NEWSの第一回に書いている様に、WHATEVERの一次的な役割は果たしたのではないかと考えています(WHATEVERが終焉に向かっているという意味ではなく、次の段階に向かいつつあるというポジティブな意味です)。
というのもそれは、WHEV-NEWSにも書いているように元WHATEVERスタッフのそれぞれの方向性だけではなく、中学生・高校生くらいの頃からカオスチャンネルを読んでくれていた全国の人達も今は一般的に大人と言われる年齢になり、以前からの信念がより確固たるものになり社会に流される事無く真の自分らしい生活をおくっていたり、または柔軟性を見出しサラリーマンなどをしつつも社会に流されるのではなく妥協無くそれぞれの路を見つけ歩みだしている人達が増えてきた事を知っているからです。
また中には住む場所も違う遠い土地の一読者でしかなかった中学生だった人が、今は自分なりのアクションを起こしそれについてメール交換していたり、もしくは大阪に引っ越してきて毎日の様に一緒にスケートするようになったりするようにもなりました。
それらの経験からも、もしくは一度も俺と直接会った事もなく、連絡を交わしたことが無くとも、近いアティテュードを共有し続けアクションを起こしている人が全国津々浦々に自分らしく存在している事を想像するに難しくありません。

なので、今後も俺のやるべき事の本質は何も変わりませんが、WHATEVERとしての表層的な表現方法に変化はあるかもしれません。
例えば、今までだと客観性ばかりを重要視していた為に創りにくかった物事も、これからは論理的根拠が無くとも直感的且つ主観的でアブストラクトな要素を加える事により、今まで以上にビジュアルを押し出したデザインに挑戦したりする事も出来る様になるかもしれません。
それは恐らく良い意味で俺個人のプライベートブランドのようになっていくのではないでしょうか。

その前に、そもそも俺の根本にあったWHATEVER立ち上げ当初の俺の思うWHATEVERの役割、意味、意義などを再整理しつつ少し述べます。
それは当時から俺が“感じ”(“考え”ではない)ていた事ですが、当時は単に言語能力、文章能力の無さから、その様な発言をしていなかった部分もあるかもしれません。
そこを想像できない人からみれば今になって取って付けたと感じられるかもしれませんが、とにかく話を進めます。

・想像力について

まず最低限度の想像力をもとに考えると難しくないのですが、自分自身の向上心が留まらない事を確信している人にとっては何事においても“可能性”は無限大です。
わかり易くする為に一度想像して貰えば良いですが、例えば、“30年後の自分から見た今の自分”を想像した時に単純に想像できる事は、より膨大な情報量、より膨大な人生経験、より柔軟性のある判断・対応能力、に今の自分と大きな差がある事は否定できないかと思われます。
仮にその30年後の自分自身と今の自分自身が何らかの物事について討論したとしても、今の自分の中の狭い常識やそれに基づいた意見で論破できるわけが無い事は簡単に想像がつきます。
他人との討論なら意見が合わず反論する事ができるかも知れませんが、相手が自分自身であるなら、その経験に基づく意見は否定出来ようがありませんし(勿論、前提条件として向上心を失って妥協して生きている状況の未来の自分自身などの場合は論外です)、討論した所で容易に論破されてしまう事も理解するに難しくありません。
となると、必然的に今の自分が考える“絶対”が“絶対ではない”可能性がある事を理解でき、その“絶対”は意味をなさない事になります。
俺自身の人生でそういう事が何度もありました。
具体例を挙げると、
小学生の頃には、「洋楽を聞いてる人は歌詞の意味が分からないはずなのに、“絶対”単なる格好付けや!!」。
中学生の頃には、「所詮、外見にすぎないファッションに興味を持つ奴は“絶対”中身の無い奴や!!」。
高校生の頃には、「刺青なんて一生物やのに、刹那な感情で悪ぶりたい“絶対”に馬鹿がやる事や!!」。
その後にも、「万一、将来自分が刺青を入れるとしても中途半端なワンポイントなんか嫌や、入れるんやったら“絶対”背中一面の大きいのにするわ!!」と。
ですが、今の現実とはまさに正反対で、洋楽やファッションにも興味を持ち、ワンポイントの刺青をまばらに入れているのが俺の実情です。
その程度の成長なら理解も出来るかもしれませんが、WHATEVERの価値観をおよそ支持してくれている皆にとってさらに興味深いであろう話もあります。
深く語った事こそありませんが、小学生の頃は「宗教や神様なんて信じてるのは、非科学的、非論理的で“絶対”に客観性の欠けた馬鹿や!!、小学生の俺でもそんな事分かるのに、大人のくせにそんな事もわからんのってどれほど馬鹿やねん!!」と考えていました。
大人になってもその考え方は“絶対”に変わるはずも無い普遍の本質だと考え、最近まで生きてきました。
けど、そんな中、唯一、宗教、神、といった事にまつわり腑に落ちず、理解できない事もありました。
何かというと、高学歴で科学や物理に長けた人がカルト宗教にのめり込んだりする事がまれにあるという事です。
勿論、想像力も使わずに安易な根拠を推論し「勉強は出来ても心は弱かったのだろう、勉強が出来る事と心の強い弱いは別物!!」と言い切る事は容易ですが、それではまさに「芸能人・有名人だからって安易に選挙に出馬しやがって、そんな世の中なめてる奴には絶対に投票しない!!」と、マニフェストにも目も通していないくせに、自分なりのアクションを起している人を安易に妄想力で否定するのと同じです。
勿論、しっかりマニフェストにも目を通した上で状況を理解、把握した上でも「こんな奴に投票する奴が何万人もいる世の中やっぱり狂ってるぜ、このイカレポンチが!!」と反吐を吐くなら、それは大いに自由だと思います。
ま、この辺りの事はWHATEVERを支持してくれている人にこれ以上語らずとも分かって貰えると思いますので話を戻します。
勿論、安易な推論どおりの単に心の弱い人も中にはいるでしょうが、想像力も使いつつ統計的に考えて人としての資質が同じだとした上で、そこに+αとして学があるのであれば、中には精神が強く勉強も出来る上に且つ想像力に長けているが為に全ての可能性を否定しない、といった人間も世には存在するのではないだろうか?
というか、それこそ統計的且つ論理的に考えるならその様なタイプの人間が存在しない事の方がつじつまが合わないはずだ、という事です。
そう考えると、それらの人達は自分の狭い世界観では想像も及ばない理由や根拠をもとに宗教や神といった問題に取り組んでいるのではないだろうか?
それらの考え方を前提に、最近になり、その根拠や理由の一部をようやく推測できる立場になってきました。
単純且つ具体的に説明すると、まず人類が長いように思える歴史の中で発見・構築してきた科学、物理などで解かっているであろう全宇宙全て(便宜的な形容で“在る(無等も含めた意味としての)物全て”といったニュアンス?)の事はまだ“全宇宙の物事分の人類の知っている範囲の事”でしかありません。
これは、数字(?)に置き換えると、“無限分の一”程度の感じではないでしょうか。
逆に言うと、「人類が解き明かしたい全宇宙の全ての事柄の殆どは何も理解していない」という事になります。
それは言い方を変えると「絶対」という断定で物を言うという行為は想像力を失なってしまった状態の事を指しているとも言えるのではないでしょうか?
そういう考えに基づきだすと必然的に「創造主(一般的にいう“神”という意味や感じでもなく便宜的な形容詞で、最も自分の言葉に近い感じで言うと“意図された創造の根源?”)」の存在すら否定できないという立場に至りました。
誤解されると困りますが、これは一般的な宗教で言う神の認識を肯定しているのではありませんし、普通に考えて、妄想力無限大MAXのありとあらゆる常識的にあり得なさそう事も全て精査、推敲し、振るいにかけていたのでは実生活が出来ない事も理解した上での見解です。
これ以上は言語能力の無さから表現しきれないので申し訳ないですが、単純な例では、仮に宇宙の広さと同じレベルで天文学的に考え偶然の重なりで有機的な生命が偶然発生する事はありえたにしても、人類程のレベルの生命体が偶然の重なりだけで本当に生まれようがあるのでしょうか?
シンプルに考えて設計図も何も無ければもっとアメーバの様な容姿をしているはずではないでしょうか?
例えば、そのD.N.A.とよばれる設計図が意図もされていない偶然の産物と考えるには、極力中立を目指し先入観や常識を取り払った上で直感と論理のバランスを意識すればするほど無理があるようにも思えなくもありません。
何かのアニメの影響か変なドラッグの影響かの意見に思われるかもしれませんが俺は至ってシラフですしアニメや映画の影響でもありません。
真実を追究しようとするからこそ、自身の事実認識と相容れない物事を否定する事から生まれる真の事実認識と、きちんと事実認識が出来ている事を前提とした上での違った状況、環境、立場からの意見を肯定する事を理解し、その一見相容れない立場の視点から想像力も含め中立(場合により“事実”)を知る事により、先入観、観念、常識、に誤魔化されずに真に物事を見る事を意識して生きているプロセスの中から生まれてきた至ってシンプルな一見解でしかありません。
(そういう意味ではPUNKの根拠となるアンチテーゼというのは決してネガティブな要素ではなく、本当の物事に至る為の重要なプロセスであるとも捉える事が出来るのではないでしょうか)
そういう意味からも現在では、例えば“神”や“宗教”ですら「肯定こそせずとも一概に安易に否定も出来ない」と言うのが、現時点の自分自身の真の立場だと理解できるようになりました。(あえて“自分自身の”としましたが、本質的には“万人”の立場がそういった真の中立での視点を持つ事により、真の調和がとれた世界を目指せるのではないでしょうか?)

ここで表した想像力という事も含め最初のWHATEVERの目的に戻ります。
そういう想像力を持った論点で考えた時に、若い頃に思っていたのは「こんなに多くの人間がいる中で、自身と同じ様な信念を持ち、社会の不条理に対して流される事無く生き続け、自分よりさらに先を生きている先人は“絶対”(笑)に身近にも少なからず存在しているはずだ、なのにそういう人達からの情報が何故か自分の所には届いて来ない」という事です。
もしかするとその理由はシンプルに若者に対しての責任を放棄し妥協し生きていく事が大人として当たり前なのかもしれません。
もしくは単にインターネット等も無かった事により単にその情報が拡散しなかっただけかもしれません。
それとも「経験に勝る物はなし!!」という事が若者に対しての最終的な答えとなり、「賢者は語らず」が如く妥協ではなく意図的に無理に情報拡散しない状況に自然となっていくのかもしれず、俺が未だにそこに気がつけていないだけなのかもしれません。
もしそれが真なのであれば俺も語る事をやめる時が来るかもしれない事を先に言っておきますが、それは決して妥協では無いはずです。
いずれにしてもだからこそ、俺は俺の存在意義としてWHATEVERを通して俺の知る中で先人がだれも行ってこなかったと思われる若者に対する俺の出来る範囲での優位性の高いであろう情報提供というアクションを自身で起こしてきたのです。
アンチテーゼを表明する事やPUNKである事が目的ではなく、それらはあくまでもプロセスでPUNKを通して事実・真実を見極め、その情報を若者に伝える事により、より効率的に良い社会を目指す事が自身の中のPUNKであると言う事なのです。

そういう意味では“考戦”(http://whev.com/whatever/main/itemandshop/kousen.html)等の説明文の真意を理解して貰っている事を前提に極論で一例を出すと、真に人類が進化、調和する為のプロセスとして平和の為に積極的に戦争に参加しようとするのが真のPUNKの在り方として捉えられる時代が来るかもしれないし、サラリーマンの様に社会参加した上でのPUNKでないと真のPUNKとして認められずに「学の無い様な奴はPUNKを語るな、真のPUNKを語りたいならそれなりの大学でそれなりの勉強をして社会に出て他者の価値観との相互理解も経験してから語れ、そんな努力も出来ないお前らは口だけの単なる社会不適者だ!!」といったセクトがPUNKとしての派閥の一部を牛耳っているかもしれません。
想像力を駆使する事を怠り、今ある常識にドップリの人にはギャグに聞こえるかもしれませんが、俺にとっては至ってありえて何の不思議もないごく普通のシンプルな話です。
要は世の中は変化しそれに伴い進化すると言う事です。

具体的な結論らしい言葉も無く書き進めましたが、とにかく色々な理由を含めWHATEVERとしてのアクションは次の段階へ向かい表層的に変化するかも知れませんが本質は普遍です。
なので部分的に見て理解できない物事があっても、まさに今回述べた“想像力”を意識し、それにはそれなりの理由がある事を理解してもらい、俺自身が実践してきたのと同じくそのプロセスを逆説的に辿る努力を怠らず真の理解につなげ、今後も支持してもらえれば嬉しく思います。
Date: 2011/01/22(土)


2010 ラストアップデート

今までWHATEVERでは一般的なブランドでは当たり前とされる“たくさん売る為に服のデザインをたくさん作る”という事はしてきませんでした。
またWHATEVER-SHOPでも一般的なお店では当たり前とされる“定期的なセールでの値引き販売”も基本的に行ってきませんでした。
理由としては、デザインをたくさん作ったり、定期的にセールをする、という仕組み自体が世の中の環境(自然環境や人の心など)を悪くする事の一部につながっている部分があると考えているからです。
なぜデザインをたくさん作ったり、定期的なセール販売などが世の中を悪くしていると考えているかの理由は、例えば“大量消費社会”などの言葉をキーワードに自分自身でいろいろ調べてみて下さい。
(それらに関わる事として、以下も面白かったりするかもしれません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%B2%B7%E6%97%A5 http://www.bndjapan.org/
けど、世の中の多くの人は、そういう事を知らなかったり、知っていても興味のない人がたくさんいるのが現実です。
知らない事自体に罪は無いと思いますが、一般的な生活に何の疑問も持たずに生きている事により、世の中の環境を悪くしている要素に自分達自身も当事者として組み込まれてしまっている事実も現実だと考えています。
なのでWHATEVERとしては世の中の環境に少しでも悪い負担をかけないための出来る範囲での行動の一つとして今までずっと、「定期的なセールをしない!!」「デザインをたくさんつくらない!!」べきだと考え実践、行動してきました。
そして、その意図を理解してくれているからこそ、WHATEVERやWHATEVER-SHOPを支持し続け、数少ないラインナップの中から数年前の古いデザインでも値引きのない定価で購入し続けてくれている人もいます。
そういう人達にはすごく感謝しています。
しかし先に述べた様に、現実はそれらの事を知らないたくさんの人達で世の中の大半は成り立っています。
そういった人達はデザインが少ない事やセールをしない事を「仕事をさぼって楽をしている!!」と誤解している人も多いかもしれません。
それらの人達が「数少ないラインナップの中から数年前の古いデザインを値引きのない定価で買うなんて馬鹿げてる!!」と思う気持ちは一般的な考えだとごく自然な事なのでしょう。
また中にはWHATEVERのコンセプトを深くしらなくても他の一般的なブランドに対するのと同様の気持ちで購入してくれる人もいます。
なので、買ってくれる側の人達の意識は十人十色でしょうが、WHATEVERの立場からすると同じだけのお金を払い購入してくれた人達に対して線引きなど無く、例えコンセプトの事を知らない人が買ってくれたとしても、感謝の気持ちはコンセプトを知った上で購入してくれた人に対する気持ちと同じであるべきだと考えています。
なぜかというと、“コンセプトを知る・知らない”とは無関係に、物を購入してくれる為のお金を生み出す為のしんどさ、大変さは皆同じで平等だと思うからです。
また現実的にも数年前の物が売れずにずっと在庫となると、デザイン労力に対しての精神性の部分は安売りをする気は無くとも、物理的な意味での服自体の経年劣化は免れません。
例えば、すごくクリエイティブなアイディアで労力を費やし創ったレストランのレシピがあったとして、そのレシピの価値自体は普遍であっても、実際に使用する食材が“新鮮な物”・“新鮮でない物”の違いなく同じ価格で出てくれば、お客さんは納得しない事と同じかもしれません。
そういう考え方にも気がつき、より多くの人達にWHATEVERの事を理解してもらい興味を持ってもらおうと考えると、今までのやり方を維持していただけではWHATEVERに広がりと進歩はありません。
なので今後は今まで支持してくれていた人達にも納得してもらえる事を念頭に置きつつも、+αの要素として一般的な社会で求められるよりたくさんのデザインをWHATEVERでつくったり、WHATEVER-SHOPでは物によってセール販売する事も目指していきます。

同じく、一般的な服のブランドでは当たり前とされ、よりたくさん売る事を目的とした“コーディネートの提案”、も着る人の主体性を奪ってしまい単なる着せ替え人形の大量生産の様になってしまうと考え、真のオリジナリティを持ってもらいたいと提案するブランドの立場と矛盾すると思い、モデルカット等の露出も基本的には意図的に極力控えてきました。
ですが今ではコーディネートを一例として提案する事により、まずは真似から入る事も若い人達の重要な人生経験の一つであり、WHATEVERの立場として真に重要なのは単なる真似で終らない主体性をしっかりと持ってもらい、真の個性化を促す為の行動と責任を同時進行的に担う事だと気がつきました。
なので今後はコーディネートの提案をするようなモデルカットの露出などももしかしたら増えるかもしれませんが、ここに述べた事を理解してもらい真の個性化を目指した服の着方をして貰えれば嬉しく思います。

総合的にまとめると、社会一般の方法を否定して反発した所で真の進歩は無く、かといって社会一般の方法に単に迎合して思考停止し、悪意無くとも知らぬ間に社会環境に悪要素をもたらす当事者になるのでもなく、社会一般の方法にのっとった上で+αを創造、融合する事こそが結果も意識した最速・最合理的な方法論と成りうるのではないだろうかという考え方を実践していくという事です。
さらに詳しくは「重要なお知らせ」なども合わせて読んで貰えると理解を深めて貰えるかと思います。

※ 早速、ここで述べたとおりWHATEVER-SHOP(http://store.whev.com/)ではこれから年末年始にかけて一部のアイテムの価格を下げて販売する予定になっています。
主なアイテムとしては、今後も定価販売で継続使用し続ける定番デザインの物の中でも服自体に経年劣化の見受けられるアイテムとなりますが、物によっては再販しない可能性の高い売り切れ終了となってしまうアイテムもあります。
数に限りがあるものなので、興味のある人は是非こまめにチェックしてみて下さい。


・先週末の夜はTIGHT BOOTH(http://www.tightbooth.com/)という大阪発スケートプロダクションの企画したイベントに行ってきた。
シンペイとオグの二人がフロントマンをつとめ、主にスケートの映像やアパレルを手がけている。
彼らは大阪を拠点としつつも現在の日本全国のスケートシーンをリードする一部も担っており、日本全国はもとより海外まで足を運び精力的に活動していて、今回はその動きの中で繋がったフランスのスケーターが創る映像作品の試写会やライブなどを融合させたイベントとなっていた。
結論から言うと大成功で大阪以外の他府県からもたくさんの人が遊びに来ていた。
そもそもFESNの森田の作品に敬意を持つ彼らの作品を、俺は昔一度、森田の作品と間違えてしまい、シンペイ自身にその事を伝えたのだが、その時のシンペイのレスポンスは素直に森田からの影響を自身で否定する理由が無いとの事だった。
一般論だと、自身の作品が他者の作品の影響を受けていると言われても受け入れにくく反発してしまう事が普通だと思う。
が、そうでなかった彼の器の大きさは近頃の彼の物創りのスタンスとその結果に正比例していると感じる。
まさに時代は現在進行形で創られ続けている事を感じる。
自分自身がいかにその進行形の“中”に居続けるかを意識できず、“外”からの傍観者になってしまっている事にも気がつけずに二言目には年齢やキャリアを口にし、影で「あの古いだけのオールドスケーターの人!!」と言われているようになってしまっては情けない。
俺はたまに考えるのだが、仮にスケート歴40年だと言っている50歳のスケーターがいたとしても、本質的なキャリアは恐らく俺の方が上の場合が殆どだと思う。
どういう事かと言うと、単に板の上に乗っている物理時間が圧倒的に違う場合が殆どだからだ。
数回前に書いた努力量の勘違いの話と同じで、37歳の現在でも一週間あたり何時間か板の上に乗り続けている俺と、40年前にスケートを始めたかもしれないが30年位前から板の上に立っているペースが一年あたりで数時間の人間では実際の物理時間でのキャリアの違いは明らかだ。
勿論、これはディスでもなんでもなく、純粋にスケートが何十年も前から好きで、物理的に板に乗ってきた時間は俺より短くとも、スケートシーンに身を置き続けている先人には敬意を持っている。
だがそのための条件としては真のキャリアの意味を勘違いしたり、偶然先に生まれただけにすぎない大していばる根拠の無い理由で無意味な先輩風を吹かせるような事の無い先人に対してのみだ。
話を戻して、とにかく良い夜だった。
が、実は良い夜だと感じたのにはもう一つの理由がある。
というのも、そのTIGHT BOOTHが彼らのパーカーのプリントを少し前に俺に依頼してきてくれていて、数日前には自分の部屋で一人でもくもくと彼らのパーカーのプリント作業をしていたばかりなのだ。
その状況下、週末の夜のイベントの盛り上がりでTIGHT BOOTHのアクティビティにリアルに触れ凄く嬉しく感じ、そこにたずさわらせて貰えた事の感謝を再認識できた事によりモチベーションが上がった。
他の地域の俺達と同世代のスケーターの事はわからないが、少なくとも大阪では俺やダルはジェネレーションの差を意識せずに皆とコミュニケーションをとっているつもりだ。
それはTIGHT BOOTHクルーとのコミュニケーションだけに限らない。
例えば、たまに三角公園にも滑りに来る“ハル”という高知県出身で大阪のSUPREMEでスタッフをしているスケーターがいる。
彼も精力的にスケートをがんばっているので、知っている人なら知っているというキャラクターなのだが、少し前には以前にここで紹介したカナダのアンドリュー・ポミアー(http://andrewpommier.com/)がデザインしてくれたHEROINの俺のシグネーチャーデッキに乗ってくれていたりもした。
昔から俺の事を知ってくれている人なら分かると思うが、10数年前の一般的なスケーターの俺に対する認知としては「変わり者で少数派のスタイル」という認知だった。
ある意味、シーンのメインストリームからは蚊帳の外といった感じも否めなかった部分があったという事だ。
勿論、俺は今も昔も同じスタンスなので、俺の態度がそうなった理由ではなく、周りが勝手に俺に対するイメージを作り、そのイメージで俺を捉えていたからに過ぎない。
が、今ではSUPREMEでスタッフをしているスケーターとスタイルやジェネレーションの垣根を超え一緒にスケートし時間を共有したりする。
さらに言うと数ヶ月前には、鳥取ダガーズの悠平というスケーターが大阪に遊びに来て一緒にスケートした。
なんと彼は9歳の小学4年生(5年やったかも?)に関わらずダガーズクルーであり、驚く事にこのBLOGも頻繁にチェックしてくれているらしいのだ。
しかも少し難しいと言いながらも内容もある程度ちゃんと理解してくれているらしく、彼曰くスケートに関しても「技を発明する事が好き」との事。
(今回、実は前半のセール販売に関する文章も、小学生ダガーズが存在する事を意識し、なるべく分かって貰い易くしようとチャレンジしたのだが、俺の能力ではどうしても難しい書き方になってしまい限界を感じました、悠平ゴメン!!)

とにかく、世の中は変化し、進化し続けているのである。
そんな世の中で、進行形の中にいるか、外から傍観するだけの「昔からずっと居るだけのおっちゃんスケーター」になってしまうかの選択も結局は自分次第。


・それともう一つ告知。
年明けの1月3日(月)のPM8:00頃(正確な時間は未定)、大阪のWHATEVER-SHOPにてINFECTION-SYSTEM PRESENTS「実験 part1」と称した映像(多分?)作品の上映を行います。
まさにその名の通り実験的な企画になり、イージーでフレキシブルなつくりになるかと思われます。
追加情報があれば、WHATEVER-SHOPのNEWS(http://www.whev.com/cgi/shop/su2_diary.cgi?)でも随時おつたえしますので是非チェック!!
もしかするとイベント限定アイテムなどの発売もあるかもしれません。


・恐らく、今年のNEWS&BLOGはこれが最後になるかと思われます。
来年も宜しくお願い致します。

では、皆さん良いお年を!!


Date: 2010/12/24(金)


プライスレス 本当の価値

“安い”と言う事を勘違いしている人が多い。
これは俺個人の“思い”ではなく事実だろう。
どういうことかを説明する。
例えば、INFECTIONのDVDは500円で売っている。
これに対して、同じ業界、同じ程度の生産数量でつくったDVDなら、一般的な価格は2000円〜3000円くらいだ。
その状況下、目に見えないコストは省くとして、プレス代などの製作費用を支払っているハマジが、知人、友人に500円のINFECTION-DVDをプレゼントしたとする。
となると、貰った側としては「500円程度の“安い”DVDを頂いた。」と考えてしまう人も多いとおもう。
実はそうではない。
というのも、先程述べた様に同じ業界、同じ程度の生産数量だと生産コストは同じ。
あくまでもだが、仮に1本あたりの生産コストが200円だとしよう。
それをだいたい2,500円くらいで売っている同業他社の人がいるとして、この人は1本売れればその差額の2,300円の利益が出たとする。
と言う事は、アバウトな計算だが1本売れればそれに対して11人の人に無料でプレゼントしてもチャラになる。
それに対してハマジの場合はどうだろう。
かなりアバウトに計算すると、1本売って300円の利益しか出ない。
と言う事は、1本売れても1.5人にしかプレゼントできない希少価値があると言う事だ。
ザックリ計算で11人を1.5人で割ると、2500円のDVDをプレゼントしてもらうよりもさらに約7倍の競争率をくぐり抜けた価値がある事になる。
だがこのパラドクスに気がつかずに「2500円のDVDをプレゼントしてくれた人の方が気前が良く、たった500円の安いDVDにはあまり価値を感じない!!」と勘違いした考え方をしてしまっている人は世の中に多いのではないだろうか。
これはプレゼントしてもらった人に限らず、500円出して買ってくれた人も同じ。
まさに全く逆である。
500円だから安いのでは無く、500円だから本当は凄く価値がある物だという事。
まさに“PRICELESS(プライスレス)”。
英語を苦手な人が日本語に訳すと「値段が無い」=「価値ない物」と誤解するかもしれませんが、そうではなく「お金で価値を図れないほどの物事」。
価格という目に見えたレッテルに意味は無いのです。
一見このパラドックスは不思議に思うかもしれませんが、実は世の中そんな事だらけ。
もし俺が神様なら、世の中をもっと皮肉っぽくして、物とお金のやり取りも勿論、人々の物事の行為の瞬間瞬間にまるでスーパーかコンビニのレジの如く、その人の頭の上にその行為に対する本質的な金銭的対価を誰からも見える様に「チーン!!」と出るようにすると面白いのですが。

言っている意味が解らない人は、簡単に詐欺に騙される人の予備軍かもしれません。
是非、気をつけて下さい。

追記
INFECTION-DVDだけでなく、WHATEVERやWHEV.COMに絡む殆どの物事はそういう“PRICELESS”なコンセプトが前提になっています。



Date: 2010/12/05(日)


いろいろ

時期によっては忙しく、更新頻度が下がってしまいます。
で、考えたのですが、無理に一回のアップで一つの内容でなくとも、アップできる時にまとめて上げてしまおうと。
という事で細かい時系列は無視して最近思った事や印象に残った出来事などなどです。


俺らくらいの世代になると、「昔は好きだった。」
になってしまう人も多いようだが、俺は今も好きです。
“ドラえもん”

俺はテレビを殆ど見ないので世の流れにも疎く、すでに有名な動画なのかも知れませんが、面白かったので紹介しておきます。



20年近く前からの凄く個性的な友人がいます。
彼の話する内容は他では聞く事の出来ないような話ばかりなので俺は彼に興味があり、結構好きな友人のうちの一人かもしれません。
俺の知る限り彼は感情に左右される事がない精神の持ち主なので、何かの物事を暴力的に制そうとしたりするような事は絶対に無いであろう人です。
まさに人畜無害といった感じかもしれません。
が、個性が強過ぎ、まれにその個性の強さが言動や外見にも現れてしまう為に見知らぬ人には理解されにくく、他の人に彼の事を説明するのに「個性の強い人!!」だとか、「独自性のある人だ」とかいっても、いまいち伝わら無い場合が多く、どうしようかと困ってしまいます。
で、最後には仕方が無いので社会的記号(というのかな?)を持ってして、
「彼は精神病なんです。」と言う事により、やっと理解してもらえます。




INFECTIONの“LIFE+α”でエンディングにも使用されていたOLEDICKFOGGY のDVDが発売されたようです。
実はメンバーの何人かはスケーターでもあります。
http://diskunion.net/punk/ct/detail/PNK1009-278


発売から少し経ちますが、LIBEのDVDも個人的にお勧めです。
ただ、INFECTION同じくスケートのトリックを重視している人には微妙な所かもしれません。
INFECTION-DVDの価格帯を意識してのライバル心からだと思うのですが、1000円と良心的な価格です。
http://fatbros.net/cgi/cart/shop/goods_detail.cgi?CategoryID=000019&GoodsID=00002578


大阪のWHATEVER-SHOPにもたまに顔を出してくれるTKKRさんが、パートナーのYOSSIEさんと組む、SAVAGE SUPPORT(http://savagesupport.blogspot.com/)。
そのEXHIBITIONがご近所のWASSさん(http://www.waaaas.com/)にてあったので行って来ました。
画像を見てもらえば分かるようにもはや説明は要らないかと。
噂ではパスヘッドも見に来ていたらしい。
Date: 2010/11/29(月)


『きらきらアフロ』
前回に出てきたインタースタイルに関連する事ですが、ダルファンは要チェック!!

『きらきらアフロ』 全国26局ネット

  テレビ東京 9月20日  24:12〜24:53

        
Date: 2010/09/19(日)


必然の偶然 偶然の必然
久しぶりに少し長文です。


先月末からの1週間はかなり内容の濃い1週間だった。

まず最初、8月末にはコラボでも繋がっているULTRA BRAIN(HI-STANDARD)の難波君が大阪でライブがあると誘いの連絡を貰った。
が、東京に行く前日だったので用意が間に合わずライブは断念。

翌日、夜行バスで東京に向かうのだが今回の主な目的はインタースタイルへの初参加。
インタースタイルというのは、スケート、スノー、サーフ業界の合同展示会で、新たな商品サンプル等を全国から来たショップ関係者やプロライダー、関連メディアの人達に店頭に並ぶより一足早く見て貰うというイベント。
そこでは以前このBLOGでも紹介したウィリー・サントス達も来ていたのだが、なんとウィリーは俺の事を覚えてくれていた様で「HI CHOPPER!!」と声をかけてきてくれた。
こちらが思っていた以上にウィリー達は三角公園でのセッションが思い出深かったようだ。
その他にも、バンド、スケート、モデル、デザイナーとマルチにこなしつつも自称ダルの一番弟子である大柴裕介も自身の新たなブランドATEの出展で来ていたり、WHEV.COMブースの斜め位置には、マジカルモッシュミスフィッツのスケートギア展開のブースもありボスのジャィアン(モリラ)達とも久々に話したりした。

その場で会ったSK8業界の著名人の名を挙げればきりが無いのは勿論だが、内容が濃いといったのはそれだけでは無かった。

基本的に東京滞在中はチャボというカメラマンの友人宅にお世話になっている。
INFECTIONのLIFEのエンディングのスライドショーも彼の作品だったり、この約10年くらいの間に東京滞在中は常にお世話になっている友人だ。
そんな彼はキャノン主催の写真新世紀というコンテストで入選した経験もあり、その時の入選作品集の表紙は彼の作品でなんと被写体は俺だった。
ジャンルは違えど創作という事に対して話が出来る人間なので遅くまで飲みながら話す事も多い。

インタースタイルの終了日の夜は、INFECTIONのドッキリコーナーにも出ている女優業のレナとも一年ぶりに再開し色々な話をした。
彼女との付き合いも15年くらいになるが、かなり個性的な人で異性としてではなく人として興味深く、話した後は具体的ではないが何かを得た気になる。
その具体性を掴み取れない所が、恐らく女性特有の感覚、感性の部分なのだろうか。

そして次の日の昼、渋谷のはずれのそんなに人気もない場所をプッシュしていて交差点で方向確認の為に一旦ストップし、回りを見回すと道路の向こうに外国人が2人いる。
アレッと思ってよく見ると一人は何とトミー・ゲレロだった。
迷わず話しかけてみたのだが、今回はスケートではなくライブで日本に来ていて静岡に向かうとの事、どうりで日本にいるくせにインタースタイルでも見かけなかったわけだ。
インタースタイルの様なイベント会場ならいざ知らず、渋谷のはずれの道端で出くわすとは偶然で割り切れない気がしてならない。
とにかく持ち歩いていたINFECTION-DVDをプレゼントし次は中野へ。

まずはFAT BROSに足を運ぶとボスの萩原さんがいたので軽く挨拶しFESNのオフィスを訪ねた。
と言うのも、その日はLIBEの展示会の最終日。
FESN、LIBEに関しては、恐らく説明しなくとも知っている人も多いと思うが、THA BLUE HERBと相互にサポートしあうスケートボーダー森田貴宏のブランド。
最後のお客さんがいなくなる頃を見計らい尋ねたのだが、まだお客さんがいたので何か万引きして持ち帰れるものは無いかと物色していたら薄々それに気がついたのか、森田が仕事を終わらせ近況報告がスタート。
勿論、違う人間なので目的や方法は違えどアティテュードはかなり近い所にあり、国内では同じ目線で話の出来る数少ないスケーターのうちの一人。
しかも久しぶりにちゃんと話をするので時間分の成長を目の当たりに出来、更なるモチベーションアップへと繋がる。
翌日は東京最後の日だったのだが、前日FESN事務所で頂いたLIBEロゴのTシャツとタオルを俺、ハマジ、ダル、と三人お揃いで着込み、ハチ公前で安倍君と待ち合わせ。
その格好のままで一日中、渋谷、原宿をプッシュでうろついたのでLIBEの宣伝効果は抜群。
売り上げが15%は上がったはずだ。

次は知人の中野君のお店が数日前にオープンしたとの事で原宿の奥地をプッシュで散策。
中野君はNGAPという内装屋さんをしつつ、それに留まらず服を作ったり色々こなすマルチな人。
そんなに深い中では無いが、共通の知人も多く面白そうな人だというのが雰囲気で分かる。
どうにかお店を発見し中に入ると、目の前でTシャツ等をプリントするスクリーンを掃除している人がいる。
欧米ではポピュラーなスクリーンプリントも日本ではまだまだマイノリティ向けな感じもあり、俺自身、独学でスクリーンプリントを10年以上やっているが、その辺りをプラプラしていて頻繁に見かける物でも無い為、嬉しく感じまた何らかの共通点があるのだろうというのも確信した。
アポなしと言う事もありタイミングを外したようで中野君には会えなかったが、何かを感じる事が出来た時間だった。
そのすぐ後近くのコンビニで飲み物を買い、前で一腹ついていると見ず知らずの外国人がいきなり「DAL!!」とダルに声をかけてきた。
一体何事かと思ったのだが、実は彼はロンドン在住のスケーターらしく、ロンドンでダルと滑った事があるらしい。
こんなへんぴな場所で何をしているのかと聞くと、モデルをしているらしくSUPREMEの服の撮影の為にわざわざ来日していたとの事。
こちらにすんでいるなら分かるが、これまたすごい偶然。

そうこうしているうちに夜になり、渋谷駅からすぐの麦というもんじゃ焼き屋さんへ。
このお店はスケーターであるアダッチがスタッフとして働いている事もあるのか、この辺りのスケーターがよく集う場所らしいので地方から東京にスケート旅行に行く人はチェックしてみては。
で、そのまま夜行バスで帰ってきのたが、さらなる偶然が待っていた。

お昼過ぎに起きてアメリカ村に自転車で向かう途中アレッと思って自転車を止め過ぎ去った場所を振り返ると、なんとそこには元ソバットのモトアキがいたのだ。
これまた街の中心なら分かるが、少し外れたへんぴな場所。
とにかく一瞬はビックリしたが、この数日の色々な人との出会いや再会の連続を思うと特に不思議ではなかったのかもしれない。
で、次の日ようやく落ち着いてきたかなと思った所へ電話がなった。

彼も以前ここで紹介した事があるBMXのアキラだった。
彼はBMXの世界チャンピオンになった事があるという実績もある上に、そこで留まらない個人的にかなり興味深い人間の一人だ。
ある意味、俺や森田と同じ物を感じる。
勿論、同じ大阪なので街で出くわす事はたまにあるが、プライベートで遊ぶ事も無く用事で電話してくるなんて言う事は恐らく初めてだ。

と今回、ここに名を挙げきれないくらいの出会い、再開、出来事がたった一週間の間に目まぐるしくあったが、自分の周りの何かが大きく動き出しているのかも知れない。
恐らく、その動きに遅れないように自分もついていかなくてはならないと言う事だろう。

で、肝心の言いたい事はここからだ。
今回ここに名を挙げた人達はその業界内ではある程度の知名度がある人が多いが、それら知名度のある友人とのコネクションをひけらかして喜ぶほど俺は馬鹿ではないと思っている。
若い人の中には有名であるとか知名度がある事に無意味に反発する人もいると思うが、それは若気の至りでしかないと今は考えるようになった。
俺の友人、知人には、ホームレス、ドラッグの後遺症や統合失調症で社会参加出来ないであろう人間、勉強の出来る人間、普通のサラリーマン、“や”のつく自由業、芸能関係の人間、お金持ち、と多種多様な人間がいる。
人間としての優劣はない事を知っているからこそ不平等なく付き合いがあるが、逆を言うとしっかりと事実認識するからこそ、社会的評価としての優劣は存在しているともいえる。
その中で俺個人の経験で物を言うなら、同じ時間軸で生きていても知名度のある人間と言うのは基本的に努力の量に伴う経験の量、思考の量、が圧倒的に違うという事実がある。
勿論、努力はしているが有名になるのが嫌であえてコントロールして有名にならないようにしている人もいるだろう。
また、「俺は努力しているが成功しない!!」と異論を唱える人もいるだろう。
が、ここは肝心な所で“努力”と単なる“我慢”を混同してしまっている人も多いのではないだろうか。
同じ話を違う場所でしたかも知れないが、俺がスケートボードのプロを目指していた若い頃、感覚的なニュアンスやイメージといった抽象的な物でなく、事実として人の3倍くらい練習していた。
普通のローカルの子が1時間滑るとすると俺は3時間くらい練習した、2時間滑るとこちらは6時間だ。
が、俺と比べて3分の1しか滑っていない子が俺のスケートの技術を見て「生まれつき運動神経のいい人は羨ましい!!」という。
さらに言うなら自己分析すると、俺の先天的運動能力は中の上程度だと言う事を俺自身は知っているし、骨格やそれに基づく筋肉のつき方等のD.N.A.レベルの事を言うと、先天的に不利な要素が沢山ある事も知っている。
その努力で埋められない先天的な要素に納得がいかず、それでもそこをどうにか努力で埋めようと言う意思が次は思考するというプロセスに行き着いた。
俺の理屈で物事を考える力の多くは、生まれついた物でなく努力の結果そうするしかなかったといった方が正しいだろう。
話を戻そう。
今もそうだ。
例えば、週末の三角公園でのスケートでもいい。
俺が仮に夜の8時から12時までの4時間を三角公園で過ごしているとして、まだ出来ない技の練習を楽しくも無く黙々と取り組んでいる時のアベレージが3時間滑っていたとしよう。
同じく、4時間を三角公園で過ごしているスケーターがいたとして、彼は得意でミスしない目立つ技をひけらかしてはすぐ座り込み雑談し、また少し得意な技をひけらかしては酒を飲み一腹つく。
その彼がトータルで滑った時間は1時間だとしよう。
が、彼の中では「同じ4時間滑ったのに俺は上手にならない、努力で埋められない部分もある!!」と、俺の事を先天的に運動能力の高い人に仕立て上げ納得してしまう。
楽しくない事でも自ら買って出る行為を“努力”だとするなら、今回のシチュエーションにおいて俺が努力した時間は3時間で単に楽しんで滑っていただけの後者の彼は0時間だ。
が、「同じ4時間努力したのに!!」という錯覚に陥っている。
勿論、純粋に楽しむためにスケートしている人を練習不足だと否定しているのではない。
目的が楽しむ為のスケートならそれこそそれはスケートの本質の一つでもあるし、それは横で見ていても気持ちの良いものでもあるし、ある意味のモチベーションにも繋がる。
が、同じ土俵、同じ目線で、プロになりたい、スポンサーがついて欲しい、上手くなりたい、と考え、それを目的として発言しているくせに同じレベルの努力が出来ないなら、それはデリカシーの無い甘えたぬるい奴だと言う事の表明にしかならないし、大変失礼な事なので大人になるとともに理解するべき事でもある。

別の例えだと、「生活して行く為に仕方が無いから仕事をする」というのは全く持って“努力”の欠片も無く、生きているなら誰もが全員している“我慢”でしかない。
そこからさらに楽しくなかろうとも自ら買って出て行動する事こそが“努力”のはずなのだが、その違いを分かっていない人が冒頭に述べた様な「努力もしているが成功しない」と二言目に言葉にする人の大半ではないだろうか。
“我慢”と“努力”は根本的に全く違う。

こんな事を言うと、俺は他人に対してアンチテーゼが強くネガティブな人だと誤解されるかもしれないが、それは間違っているはずだ。
俺は自身の責任においてでかい事を言ってくる奴に対して、そのでかさ分の結果が伴わない事実を否定しているにすぎなく、要は事実認識に過ぎない。
俺と比べてどれだけぬるかろうが努力不足であろうが根性が無かろうが、自身でそれを肯定している人の事は否定していない。
このような発言は大人になるとともに差し控えていく事は簡単だが、俺は腐った大人にならない自分への戒めも含めてこういう事をある程度言い続けるべきだと考えている。
要は確信犯。
なので、今回の俺の発言で良い意味でも悪い意味でも何かを感じた人は何かのきっかけになればいいだけの話だと思う。

そういう意味も含めて人生の時間は有限である事を踏まえ、同条件下で人と人を天秤にかけるなら努力をしている要素の見えない何の根拠も無い人間よりも有名な人とコミュニケーションを図った方が自身の人生において糧となり有意義だという推測をもとに判断をするのはごく当たり前だし、それを否定するならそれは努力した事の無い奴の戯言に聞こえなくもない。
誤解を避けるためにさらに言うと、物質的な損得の話ではなく、ホームレスであろうが金持ちであろうが本気で生きている奴とのコミュニケーションは自身の糧になるが、逆にホームレスであろうが金持ちであろうが本気で生きていない奴からは何も得る物は無いので、そんな奴と時間の共有を図るというのは有限である人生の時間を無駄に過ごしているという事だと個人的には思う。

なので社会的な評価が高い人や知名度がある人同士がどんどん繋がっていくのは「有名であるから」ではなく「有名になる理由があるから」だと言う事だ。
俺はこの場で誰か個人を誹謗中傷したりはしていないはずだし、仮にそう誤解したなら勝手にすればいい、俺は単に沢山ある物の見方、事実認識の一つを示しそれが若者の糧になればと思っての事でしかない。




Date: 2010/09/11(土)


たかし
およそ10年くらい昔の今と同じくらいの時期だったと思う。
プッシュで大阪から名古屋まで旅をしようという話で盛り上がったが結局本気でチャレンジしようという奴が集まらず結局は企画倒れになった。
俺自身も一人ではチャレンジする気になれず、結局は本気でない奴の内の一人だったと言う事だ。

今、大阪を拠点にスケートしているタカシという熱い奴がいる。



これを読んでいる全国の人達の中で、もしタカシをどこかで見かける事があったら是非、応援、協力してあげて下さい。
Date: 2010/08/15(日)


おたより
たまにサイト宛にお便りを頂く事があるのですが、whatever関係者は勿論、直接関係していなくても一方的に支持してくれている全国の人達にも目を通して貰う事により、なんらかのエネルギーに繋がるかと思い、ご本人の了承を得たので、そのお便りをこの場で紹介します。

名前を○○と伏せた以外は原文のままです。


はじめまして、こんにちわ。
静岡県に住んでいる○○と申します。
whateverの姿勢に感動しましたのでついメールしてしまいました。


10年くらい前の雑誌でチョッパーさんを見ました。
ボクはスケボーはほとんどしていません。
サーフィンをやっていたので、その延長線上でスケボーで遊んでい
た程度でした。
雑誌の中でチョッパーさんが若者の服が高すぎるからとwhatever
とゆうブランドを立ち上げたことを知りました。
ボクの家はどちらかとゆうと貧乏な方だったため、なぜかうれしく
なった覚えがあります。
母ちゃんは安物の服を着てるのに、ボクの着ているアメリカから輸
入された服の差に、心の中で負い目みたいなものを感じていたから
だと思います。

当時パンクを聴き、ちょうどシルクスクリーンに興味もあったの
で、チョッパーさんの考えに影響を受けました。
Tシャツを作りたい気持ちはありましたが特に行動にはうつせず、
サーフィンばかりしていました。

ボクは流行に敏感ではなく、理解もできないことが多かったです。
自分の着たいと思った服を着て、自分のしたいスタイルのサーフィ
ンをします。
『変わり者』と呼ばれることもポジティブに考えていました。
けど、心のどこかでは、他人に理解して欲しいと思っていました。

現在はまだ良くなりましたが、90年代の日本のサーフィンシーン
は危ないくらい保守的で
オフザリップとゆうターンを繰り返せば高得点が出て試合に勝てる
とゆうものでした。
スピードをつけてスケボーみたいに180をしていても全然勝て
ませんでした。
『お前らサーフィンで180できるのかよ、悪いけど見せてくれ
よ』(負け犬の遠吠えになるので心の中にしまっておく)

今思うとアホだなと思うのですが、嫌になってしまい、きっぱり
サーフィンをやめ、薬物にハマッていきました。
他人に認められたい、自分大好き人間だっただけなのです。

なんか自分が透明人間になった様に感じていて、何をやっても周り
からは自分のことが見えていない気がしました。
薬物をキメながら、薬中同士で『あれをやる、これをやる』。全部
言うだけで行動せずに終わる。
最低だ。
こんな現実を見たくないから、またキメて現実逃避。

29歳の誕生日に思い返す20代、今まで何をやってきたんだ?
しっかり覚えてはいないけど、くだらない思い出しかない。
薬物なんかやめて、やり直そう。
シルクスクリーンをやってみたい。
自分の着たいデザインを考えている時は、時間を忘れるくらい楽しい。
できあがったデザインを見て一人でニヤニヤして。

仕事もしているし、完全な趣味としてプリントしています。
買ってくれるとゆう友達にはうれしくなってTシャツの原価代
で、たまにタダであげちゃったり。

先日ふと思い出してwhateverのホームページを初めて見させ
てもらいました。
チョッパーさんカッコよすぎる。

正直に言うと、おもしろいトリックをやるヤンチャな人のイメージ
があったので
ビックリしました。
共感できる部分が多く、おもしろくて全部読んでしまいました。
自分では気がつかなかった考え方がとても勉強になりました。
ポジティブな気持ちをわけてもらいました。
他人にどうみられるかではなく、自分が満足できるかどうかってこ
とだけが問題ですよね。

アメリカの911自作自演のテロなど、政治が金のために国民を
犠牲にし、被害者ぶって国民を洗脳し、戦争を起こす現実。
マスコミの偏った報道。
自分で考え、自分で決めることが重要な現代だと思います。

whateverが発信している、本当の価値、大事なこと、やれることは
自分でやることのおもしろさを
未来の若者に伝わってくれることを願っています。
このメールで何を伝えたかったかとゆうと、
信念を崩さずブランドを運営していくとゆうことは、ボクには想像
することしかできませんが
かなり大変なことと思います。
ボクの様なあまりスケートボードに直接関係のない人間まで、
チョッパーさんの考えを受信しています。
まだwhateverの服を買ったことはないですが、価値のあるモ
ノ(勇気とゆうか、言葉で上手く表現できませんが...)をもらい
感謝しています。
なのでお金ではなく、感謝の気持ちをメールさせてもらいました。
whateverこれからも頑張って下さい。

文章力がないので読みにくかったと思いますが、最後まで読んでく
れてありがとうございました。

Date: 2010/08/14(土)


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