ウィールについて  2010/03/05(金)
“おいどん”の絵について  2009/09/09(水)
スケートボードのサイズについて  2009/09/05(土)
“2no”さんよりの投稿  2008/03/17(・E木)
BGM  2007/03/03()
ブランドの作り方  2006/08/05()
捻挫  2006/05/30(・E土)
「メンズノンノ」  2006/04/27()


ウィールについて

Q:早速質問ですが ウィールについてです

  ここ数年 ソフトウィール 各社普通に販売するようになりましたね

  ぼくはスケート約10年やってまして、主にストリートです。
  同じ場所でスケートするんも楽しいんですがボクは街流してるほうがこの頃は好きになってきました。

  ただ道っていい路面もあればガッタガタの路面もストリートには混在してます。

  そこで82aのソフトウィールを試しに買ってみました。 確かに進む。 しかし残念なコトにパワースライドした時 ウィールが鳴かない。 キーッ て鳴かない。

  これはボクにとって致命傷です。 鳴いてほしい。

  以前80年代にスケートしてた人からコンプリートを貰い それについてた パウエルペラルタ ラットボーンズのウィール(90aくらいだと思う) 
  を普通のシェイプのデッキに履き替えてつけてみたんです

  そのウィールでかすぎることを 除けばほぼパーフェクトなスムーズさ しかしそのデッキはオーストラリアで盗難に遭い 手元にはないです ホント残念

  で今はボーンズの現行のディッチテックなんちゃらみたいな要は悪路でも滑れますよ系(95aくらい)のを付けてます こいつはちゃんとウィール鳴きします
  スムーズさでは少し不満 悪路けっこう足だるいスピード落ちる

  チョッパーさんはボクよりスケート歴も長いし色んなウィールを履いてきたと思います。 以前質問のところに自分のギアのスペックは把握してないと書いてましたが
  チョッパーさんのウィール考みたいなのがあれば聞いてみたいと思いメールしました 


  各社ウレタンの質が違うし、クセも違う チョッパーさんはカラーウィールよく付けてますが実際白のウィールと違いって感じますか?
  噂では カラーによっても柔らかさ変わってくると聞いたことがあります 
  盗まれたラットボーンズも黒 やらかかったような気はするけど 白黒同じので比べたわけじゃないので はっきり言ってボクは解りません

  ウィール鳴き好きですか? はたしてどの硬さまで鳴いてくれるのでしょうか?

  質問というかチョッパーさんのウィール考が聞いてみたいです  かなり昔チョッパーさん道ヨコにある植え込みプッシュで渡るのみたことあります
  いやホント面白いスケートするなぁっていつも関心します

  ではでは                                           リウ


A:ウィール考との事ですが、文面を拝見する限り、すでにかなり俺のスケート感(考)を解かってくれているはず、という感じをうけます。
現在では「自分のギアのスペックは把握してない」という状況ですが、お察しのとおり俺は本来ギアに対しての視点はかなり細かく自分なりの意見も持っていました。
今でこそ色々なスタイルがサイクルしたおかげもあり、メディアのあり方も変化し、国内の業界もそれに合わせている為、多種多様なスタイルの人に対応出来るような品揃えになっています。
ですが、俺がギアにこだわっていた一昔前は流行に流されている人ばかり(現実的には現在も“「流行に流されないスタイルを持っている風」だという流行のスタイル”に乗っているに過ぎない不純な人の存在も感じますが)だったので、本当に自分にとってマッチしたギアは国内では流通しにくく納得のいくセッティングというのは難しい、というのが現実でした。
例えば、数年前(今も?なのかも知れませんが、メインストリームに興味が無いのでわかりません)に日本で主流になっていたアメリカの西側のウィールブランド等、そのブランド発信地の一般的な路面状況が比較的悪くないコンクリートで、それに合うような硬度の硬めな物が主流だったようです。
それをまんまと鵜呑みにした人達は、自分がいつも滑っている状況がアメリカのその地とは根本的に質の違う田舎道の荒いアスファルトであろうが、外国の有名なプロ達が調子よさそうに使っているから間違いない、とばかりに、ビギナーどころか日本国内でプロであったり、スポンサーのついている人までもが目利きが出来ずに使っているという状況もありました。
ウィールの話ではない上に、もしかするとどこかで同じ事を発言したかもしれませんが、シューズに関しても同じ様な事を経験した事があります。
これは俺が大会などにも積極的に参加し、プロライダーとして精力的に活動していた10年以上前の話ですが、ある展示会(日本中のスケートボード業界関係者が集まるイベントの様なもの)に行った時の事です。
昔から俺は、契約金が欲しいからといって自分のファッションを変える事は嫌いだったので、シューズメーカーさんからスポンサーのオファーがあっても基本的に断ったりしていたので、シューズに関してはノースポンサーでした。
そんなある時、あるスケートシューズメーカーのブースに立ち寄ると、担当者さんが「チョッパー君もうちの靴履いてよ〜!!」と軽い感じで話しかけてきました。
その靴は、昔はよく履いていたのですが、ある時を境に見た目は今までと全く同じに関わらず、グリップが悪くなったと気がついていた為に履かなくなっていたので、正直に「昔は良かったけど、今は品質が下がりグリップが悪くなったから好きじゃないんですよね〜」と返した所、瞬時に隠せないと悟ったのか「さすがはプロですね〜、実は生産ラインを〜の国に変えたんですよ〜」と一言。
そんな安かろう悪かろうクオリティになってしまったに関わらず、メディアの作り上げたクオリティが下がる前のブランド神話を鵜呑みにしている、自称“コア”な目利きの出来ない薀蓄たれの信奉者には気づかれる事なく、かなりの数が売れていた様です。
勿論、俺は出来る範囲でそういう業界に物申していましたが、耳を貸す人は皆無でした。

さておき話を戻し、俺としては、スケートは全てスケートなので、回し技、R、オールド、リアルストリート(クルージング)、などの区分け無くオールラウンドに滑れるのが理想だと考えていて、その考えに基づくと少し柔らかめで大きめの物(個人的には80年代後期くらいのボーンズの56mm〜58mm、95a〜97a、程度)がベストの基準になります。
理由としては、多少重くてもシンプルなトリックであれば技術でカバーできますが、逆に心地よさを求めるクルージングで、ウィールが小さく硬い為に心地よく伸びない事はカバー出来ないと考えています。
しかし、あくまでも感覚なので硬度計で測定すると事実はどうかは分かりませんが、80年代後期のボーンズの97aを使っていた時の記憶と、現在のスピットファイアーなどの97aとを比較すると、スピットファイアーの方がかなり固く、ボーンズのそれとは全く別物の様に思います。
俺の印象や記憶の問題なのか、それとも過去の物が正確な硬度表記がなされていなかったのかは分かりません。
もしくは硬度は同じでも単にブランドの品質の差なのかもしれません。
今はギアにこだわらず乗り比べる事もないので、正確では無いかも知れませんが、上記も含めて考え現在のスピットファイアーを基準にするなら、もしかすると、俺のベストは、92a、95a、程度なのかもしれません。
ですが今述べた事は、俺個人の体格や体力、また環境や時事の個人のスケートスタイルの嗜好の違いを基準にしているので、第三者には当てはまりません。
なので、個別にその都度微調整をするのがベストだと思います。
環境とはどういう事かと言うと、例えば、仮にスケートスタイルが近い人同士でも、路面の良い場所が多い都市部を中心に滑る人だと少し固めの小さいウィールでもよいですが、田舎に住んでいる人が同じセッティングにしても、路面の良いローカルスポットやパークなどならまだしも、あまり路面の良くないアスファルトばかりのストリートに出るとなると、耐えられないと思います。
実際、同じ俺と言う人間でも、若くて体力のあった20代前半までは常に、62mm、97a、くらいのかなり大き目のセッティングで全国大会にも参加し、回し技メインのルーティーンで上位入賞したりもしていました。
ですが、もし今、同じセッティングで滑れと言われても、クルージングなら良いですが、技によっては膝などに負担がかかりすぎ傷めてしまう事にしかなりません。
また、回し技と言っても、シンプルな回しなら多少のセッティングには左右されませんが、ビデオ撮影時などでかなりシビアな技術が要求される時などは、それに準じたセッティングにしないと難しい事もあり、実際、現在ビデオを撮る為にキッズサイズ(俺は162cmの為、一般的な体格の人が少し小さめのセッティングに乗るのと同じくらい)とノーマルサイズ(逆に一般的な体格の人が8インチオーバーの少し大きめな物に乗るのと同じくらい)の2セットを用意しています。

色の差に関しては推測ですが、理論上、顔料(色の基)の色の違いや、それが混合される事により、分子結合の強度?(科学用語として適切でないかもしれませんが)が下がる事により、何らかの差異はあるのかもしれませんが、俺自身の経験ではその差は体感した事はありません(同一製品を前提で)。
たしかに昔だとクリア系のウィールは減りにくいという噂などを聞いた覚えがありますが、今考えると顔料が入っていない事からそういう噂になったのかもしれません。

ウィ−ルの鳴きに関してですが、昔は「ウィール鳴きは真のストリートスケーターにとって、自転車で言う所の呼び鈴と同じだ!!」と考え、呼び鈴代わりに鳴らしていたので重要でしたが、今では何度も述べている様に特にこだわっていません。
後、フィルマーズやクルージング専用の本当のソフトの事は詳しくないので別として、80年代後期〜90年代前半までのボーンズの95aと97aを比べると、95aの方が鳴きが激しいというのが一般的な認識だったように記憶していますが、記憶違いかもしれません。
うろ覚えで90年代前期に限りますが、101aなどの硬いウィールは確かに新しい時にはよく鳴くが、使っているとすぐに鳴かなくなってくる上にすぐパンクするという感じだった気もします。
今は総合的に硬い方が鳴きが激しいのでしょうか?

ギアにこだわらなくなった理由ですが、そもそも俺も若い頃は、流行のスタイルに流され、皆にもれなく海外のビデオの後追いばかりの当時の自称ニュースクールトリック(真のニュースクールとはクリエイトする事のはずなので、外国の流行の後追いはニュースクールではないと考えているための“自称”)を網羅する事に始まり、次の段階としては、そこにアンチテーゼとして単なる多数派でないというだけの自称ハードコアと言われる単に少数派である事にのみに価値を見出す無意味さにも気がつき、真のオリジナルの模索を追及した結果、そのオリジナルを模索する意識の存在自体の不純さに気がつき、今の状況に至っています。
その状況下、現在の俺のスケートに対するテーマの一つとして「弘法筆を選ばず」というのを理想とする部分もある為、あえて(と同時に無意識でも)ギアにはこだわっていません。
ですが、この「弘法筆を選ばず」と言うのも先に述べた様に意識下においての意味合いではなく自然体である事が前提になっています。
少し前の数ヶ月間などは、意図された状況ではなく、日常の靴(主にドクターマーチン)のままで家に帰る途中で軽くスポットに手ぶらで行き、誰かが休憩している間だけ、その人の板を借りて滑る、と言う状態で数ヶ月過ごしたりもしました。
そんな状況でも板に乗れている状態が自分的には理想でこだわり(“こだわり”がある時点で無意識ではないと自己矛盾しているように誤解されるかもしれませんが、そうではなく的確な形容詞がなかっただけの便宜的な表現です)でもあります。
自分で言うのが恐ろしい所ですが(笑)、ある意味“一周してぬけた”感があります。

たかがウィール一つでも、細かい所を言い出すとまだまだ語れてしまうので、とりあえずこの辺にします。
個人的な結論としては、真の目利きの力や本質を見抜く力は情報から得る事はできません。
他人の意見は意見程度を前提に、自分自身であらゆるギアやセッティングを試してみて真の自分の感性で感じとれるまで乗ってみて、真の自分の目利きの力になるのだと思います。

ちなみに今はほとんど他のスケーターに影響を受ける事はないですが、ある意味で最も興味があるスケーターは西岡昌典氏です。 
氏のような人こそ、真の最先端であり、リアルニュースクールなのだと考えています。
Date: 2010/03/05(金)


“おいどん”の絵について


ダニーさんよりの投稿

Q:WHATEVERが好きでちょっと前になりますが気になったことがありました。ブログにも載っていたのですがおいどんという方の絵をなぜあのWHATEVERに展示されてあったのか疑問でした。とはいうのもあの類の絵は細かく時間がかかって大変だとは思いますが素人が多く(友達でもいっぱいいる)、その中でも彼のレベルはだいぶ低いと思いました。かっこいいイメージだったWHEVのレベルが下がったと思いました。すみません残念だったので。ダイキさんのSKシューとかはすごくかっこよくてやっぱりWHEVかっこいいと思いました(^O^)
mixiの気味の悪いアートの中でさえあの類の絵がたくさんあります。参考までに://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5691163&comm_id=66071

おいどんBLOG(http://pecopoco.exblog.jp/


今回、回答本文を書き終える間際、投稿主のダニーさんへ「Q&A」での掲載をお伝えした所、以下の追伸がありました。
「わざわざありがとうございます。後になりWHEVさんに対しても失礼な文面になってしまったと申し訳なく思い、自粛させて下さい。申し訳ありませんでした。」

この追伸に対しての更なる回答の一部が以下になります。

「失礼な文面」なんてとんでもないです。
どころか良い意味で凄く嬉しく思っていて、whateverを通し俺自身が個人の見解を表明し行動している意味や意義を体感する事ができました。
今の世の中、ネット上では匿名性が為に責任感のかけらも無い誹謗中傷が若い人達の間では当たり前となっているようです。
ですが、俺自身は自分が発言する際にはちゃんと自身の氏名を明かした上で意見を表明してこその説得力だと考え行動しています。
それらも踏まえ、俺自身若い頃から感じていたのは、事実、非事実に関わらず正しい意見であろうがとにかく第三者の顔色を伺って自分の意見も言えずに生きていく事が美徳とされている様な歪んだ教育システムが為に真に思っている事すら発言しにくい世の中になってしまっています。
(そんな世の中になってしまっているからこそ、匿名での誹謗中傷が横行してしまうのではないでしょうか?それとも俗に言う“ゆとり教育”の弊害でしょうか(笑)?)
そんな中、今回は2チャンネルの様な場所で匿名で文句を言うのではなく、ちゃんと自身の名でオフィシャルサイトに“文句ではなくご意見“を頂けたというのは、本当に嬉しく思いました。

今回ダニーさんとこのようなやり取りがあり、ここではペンネームでの掲載となっていますが、サイト宛には実名での投稿だった事を記しておきます。
以下、回答本文になります。

A:興味深いご意見ありがとうございます。
同様の意見を持つ方も多いかと思うので説明します。

まずWHATEVERサイト内などにある物事に対する見解をどの程度ご理解頂いているか分からないとご説明内容も無限のパターンが出てしまいますので、本質的にはほぼ把握されているというのを前提にする事と少しは芸術に関する知識をお持ちであろう推測をもとに話を進めます。
ダニーさんが言われる“レベルの低さ”とは、WHATEVERも以前から問題定義している“芸術”や“アート”という言葉のレッテルに憧れ酔っているだけの人達が作る真の創作とはかけ離れた本質の伴わない物事、要は「芸術の名のもと“資本主義の負の副産物(ゴミ作品)”を生み続けている社会にアンチテーゼを掲げている」はずのWHATEVERが何故その様に見える作品を展示しているか?と言う事かと思い話を進めます。
具体的に言うと、ピカソの抽象作品や当時のダダムーブメントなどのようにプロセスも含め説得力がある物と、見た目は物理的に殆ど同様な作品でもそのプロセスを含まずピカソやダダの真似事で、先駆者が努力し戦い創り上げた真の文化性におんぶしてもらいながらゴミを作り続けている事とは、深く考察する努力を怠っている人達には表層的には同じ様な作品や物事に見えても本質的には異質の物事です。
実際、世の若い自称芸術家が作る殆どがそうと言ってもよいゴミに関わらず、もっともらしく評価され、その弊害として真の文化の発展の妨げになっているであろう事を世に理解を広げるべく行動する事が理想とされるという所でしょうか。

それらを理解しているはずの自らが何故その様な事をしている(ように見えている)のか、という所が今回のご意見に対する返答として面白い部分だと思います。
最初に述べると、当初あれらの絵の雰囲気は俺自身の個人的感覚では嫌悪感もあり、もしかすると今の物理法則で証明出来ないに過ぎない事実がこの世界に存在する可能性も含め物事を捉えるなら、目には見えない負のパワーが出ているのではないかという可能性すらも想定しました。
またちゃんと本人にもそれを伝えています。
ですが、俺の立場としては常に自分自身が何らかに縛られていないかを客観的に自己判断、自己否定する事により「壊しては創る」という事を実践できると考えているので、その嫌悪感という直感的感覚すら疑うべきだと考えました。
そうしないと思考停止に陥るからです。
そんな考えのもと、俺自身にもまだあの絵の真意は分からないですし、もしかすると永遠に何も分からないかもしれません。
さらにもしかすると単にあの絵に何も無いだけなのかもしれません。
ですが、何故あの絵を展示すべきだと思ったかのプロセスを述べます。

まず、「おいどん」は彼が中学生の頃からの付合いで10年来の付合いがあります。
そもそもはWHATEVERの価値観に共感を得てくれていたお客さんの一人でした。
そういう関係性の中で、彼もクラスト(パンクのスタイルの一種で反資本主義的な考えを持つ人が多い)などの価値観にも興味を持ち自身でバンドをやったり、PUNK専門のレコード屋さんで働いていた経験もあります。
そういうバックグラウンドを踏まえ彼は最初に述べたようなWHATEVERの価値観をおよそ理解しているのだろうと思います。。
に、関わらず自身が先述に含まれる様な物作りをしているように見えるからこそ、逆説的に“説得力”になり得るのです。
補足しておくと本人いわくは全くのシラフで描いているらしく、何らかの薬物などを摂取しながら描いたような物でもないとの事です。
ニュアンスの問題になるので難しいかも知れませんが、本人自身も論理では割り切れず、自身も意味も分からず無意識にペンが走る状態(こんな表現は誤解を受けるかも知れませんが俗に言うトランス状態に近い感じ)で世に言うオートマティズムの様な状態で書いているらしいのです。
「おいどん」との個人的な付合いがない限り、信じる信じないの話は水掛け論にしかならないので出来ませんが、“アート”や“芸術”といった言葉の響きに憧れ、オートマティズムと言う概念を知った上で、自分自身をだますように思い込みでペンを走らせて自分に酔っている自称芸術家の作るインチキ作品とはプロセスが違うと俺は感じ考えています。
ですが、最初に述べたように物理的視覚要素としてはその辺の自称芸術家の作る物とあまり違いはないかもしれないので批評するには難しい部分があります。
例えば、分析すると分かるので本人にも伝えたのですが「無意識下で描いているはずなのに物によっては絵に天地(上下左右などの概念)がある時点で概念内で描いている事が読み取れる」と。
もしくは人によっては、全体的な奥行き感(立体感)に乏しいので技術力をあげる為の努力量の不足(基礎技術の不足)、などの部分に説得力の無さを感じる人もいるかもしれません。
ですが、それでは世に多く見受けられる危険な思考プロセスの一つとして、「白か黒か」、「0か100か」でしか物事を判断出来ない状態になっていて、それでは、事実、真実が見抜けないのではないでしょうか。
「あの人は警察官だから100%正義感に強い人だ」「あの人は暴力団員だからやさしさは0%だ」、とこんなレッテル基準で馬鹿げた考え方で子供を育てても、まともな人間になりにくいのは想像がつく所かと思いますが、同じく真の芸術批評を目指すあまり本末転倒してしまい100%という結果ばかりを求めがちになってしまう事も多いのではないでしょうか。
それらを踏まえ、その天地がある理由を本人に聞いた所「そこに関しては、時と場合によりある程度概念内で描いている」と偽り無く自然に答えます。
仮に分かりやすくあえて真半分にして「50%が無意識下の真の直感、50%が概念内」で描いている物があってもそこ自体に、本物、偽者、があるのではなく、ちゃんと「50%ずつで描いた!!」と偽りが無いか、それとも自分自身すら騙して思い込んでしまい「100%リアルな直感で目に見えない力や!!」と言い放つのかが評価基準になる事があったとしても単なる一つの評価ベクトルにしか過ぎず何の問題も無いのではないでしょうか?
本来、評価ベクトルと言うのも社会性に迎合しなければ無限にあるはずです。
また、証明こそ出来ないのでSFレベルで捉えてもらえば良いのですが、この絵の一部に偶然にしては割り切りにくい不思議な要素がある事も個人レベルで経験した事実としてあります。
それについては、ネット上では何とでも言えてしまう無意味さを考慮し具体的には述べませんが、これらの意味も含め「動機に不純さが見受けられない(長年の付き合いで彼の事を知っているのも条件の一つとして)、直感に思える嫌悪感すらも後天的に刷り込まれた先入観に過ぎない可能性を疑う事自体が破壊と再生に繋がる」などの理由を主として展示している状況です。

なので、俺と同じく主観基準で見ると嫌悪感のあった人もここに述べた要素を含め、もう一度しっかりと目にしてもらい何かを“感じ”“考え”て貰う事で全ての意味を含め間接的でも良いので真の創造に繋がるのではないでしょうか。
実際、「おいどん」の絵があったからこそ否定意見とは言え今回のお便りを頂き、お便りがあったからこそこの文章が“創作”された事は言うまでもありません。
否定的な意見のおかげで何かが生み出された、これはWHATEVERの持つアンチテーゼを維持する部分の真意に繋がっているのかもしれません。
そう、世に言われる「oneness」で恐らく全てが何かで繋がっていると言えるのかもしれません。

実はここまでの文章は以前までのWHATEVERの見解です。
ですが、俺自身も日々成長する事を理想としています。
そんな中、以前のWHATEVERには無かったであろう+αの見解を少し述べます。
最初にあった「低レベル」や「ゴミ」という毒づいた感じの言葉はあえて使いましたが、実はそれらは個人にとっての絶対的な主観でしかなく、本質は相対的な価値判断によって変わるともいえます。
例えば「若かりし頃に嫌悪感のあった大衆向けの偽善的なポップミュージック。」
この一文をとってみても実は「若かりし頃」「嫌悪感」「大衆向け」「偽善」「ポップミュージック」といった要素は個人の主観をもとに一般社会を基準にした相対的な概念にすぎません。
しっかり考えて行くと、個々の言葉の意味自体は共通していても感じ方は十人十色で違います。
「若かりし頃」とは現在36歳でいまだ街中でスケートボードをして警察官に「いい歳して、やって良い事と悪い事の違いも解らんのか?」と怒られている自分に「ナイス俺!!」と思っている俺にとっていつの事でしょうか?
「嫌悪感」という言葉と「嫌な感じ」と言う言葉では意味がほぼ同じでもその言葉を使う人が誰かや受け取り手が誰かの違いで、どちらのニュアンスが強いかは印象が逆転するかもしれません。
「大衆」とは誰のことでしょうか?アインシュタインから見ると一国の首相ですら大衆の一人かもしれません。
「偽善」とは何でしょうか?自分自身の滑っているスケートスポットのゴミをかたずけて帰る俺は誰かにとって偽善者かもしれません。
「ポップミュージック」とはどんな歌詞の音楽の事を言うのでしょうか?
俺は人は皆平等であるべきだと思いこみWHATEVERを十数年運営してきましたが、実はそれは妄想にすぎなかったという結論に達しています。
どういう事かというと、先天的に能力差や個性差が違う事自体はごく自然な事にすぎず、“蟻として生まれる”か“チンパンジーとして生まれる”か“人間として生まれる”かは単なる事実でしかなく、その事自体に不平等は存在しません。
まさか大人にもなって「こんな蟻やチンパンジーなんて、所詮俺様より知能が劣る!!」と得意げになり興奮する馬鹿は例外を除けばいないはずですし、そんな馬鹿は下手すると本当にチンパンジーよりも知能が劣っているかもしれません。
また蟻どうしの中でも能力差の違いもあれば、チンパンジーどうしの中でも能力差はあります。
それと全く同じく、たまたま人間対人間だからといって能力差が存在しないという理屈は成り立ちません。
俺が問題としていたのはその“差”を認めあえずに“見下してしまう事”自体が問題にすぎなかったのだという事です。
そこに気がつかず、能力差が違う人にまで自身と同等の能力を要求する事が“平等”であると思い込みたかったに過ぎなかったと言う事です。
例えると、明らかに能力差が上であろうアインシュタインの事をうらやましく思わないのと同じレベルで、能力差が下であろう人の事を見下す理由も無い事に気がつけば良いだけにすぎないのです。
人には能力差が先天的に存在するという事実にもとずくと、一つの事象に対していかに多角的かつ客観的に本質を見抜くかの力も千差万別です。
能力のある人にとっては本質の伴わない偽善的なラブソングだったとしても、能力差がために本質を見抜く能力の無い人からするとそんな曲でも真のラブソングとなり癒される人もいます(「じゃあ、本質とは何?」と言われてしまうと哲学の話になってしまうので、その辺りに興味があるなら自身で勉強して下さい)。
それを否定するというのは、まさに「何でこんな簡単な方程式が解からないんや、この馬鹿チンパンジーが!!」と方程式を解けないチンパンジーに腹を立て興奮し感情を抑えられない行為と同じです。
まさに何の生産性も無いどころか他人を落としこめるというマイナスにしかならないのではないでしょうか?
(勿論、理想でしかなく俺自身の心情としても偽善に聞こえるラブソングなどは腑に落ちなく思ってしまいますが、それは俺自身の弱さに過ぎないのだろうと考えています)
もうこれ以上語る必要は無いでしょう。
自分自身の絶対主観の中で「低レベル」や「ゴミ」は存在し続けるし、その事を誤魔化す偽善も必要ありません。
けど、俺にとっては「低レベル」や「ゴミ」であっても、誰かにとっては「ハイレベル」で「有意義な作品」であるかも知れませんし、またその逆もあり得ます。
本人が第三者からの批評を望んでいないなら、肯定せずとも否定すべきでもないのかもしれません。
勿論、作者自身の判断で公の場に発表、展示している時点で第三者からの批評を免れないのが前提だという自己責任もあるかと思われるので、他人の作品を批評する場合があるなら、それらの自己責任を理解している向上心を持った作者が自らのスキルアップの為に生産性に繋がる批評を望んだ場合にのみ歯にもの着せぬ正当な評価を下せば良いのではないでしょうか。
実際、今回の件に関しても公の場とも言える場所に自己責任で展示している上に、ダニーさんも匿名では無くちゃんと実名にて批評してくれている為、責任を持ち展示の意図を記しました。
この一連の流れこそまさに真の文化の創造とも言えるのだと思います。
それも含め、傷の舐め合いで満足できるような所詮二流(俺の主観で(笑))の自称芸術家の作る物に対しては、必要以上に熱くならずとも放って置いても自然淘汰されるのが世の常、宇宙の摂理なのかもしれないと最近感じています。
まとめとしてシンプルに考えるなら、限りある自身の能力の配分を考え行動する時に、「生産性の無い他人の否定(今回の様に結果として生産性のある否定は別として)」に1時間使うのか、「自身の真の成長や創造」に同じく1時間使うのとではどちらが効率が良いかしっかりと判断すべき事も重要だという事実があるのみです。


最近のWHATEVERはポジティブな物言いも増え「怪しい宗教にでも洗脳されたのでは?」と心配する人もいるかもしれませんが、そんな事は無いので安心して下さい(笑)。
単に若かりし頃にあったアンチテーゼは実は目的ではなく、手段でしかなかった事に気がつき、相変わらず真の進歩や調和を目指しているにすぎません。
それを前提に「重要なお知らせ」にもあるように約60億もの価値観が存在する社会の中でしっかりと自身の立ち位置を意識し個人論を表明し納得してもらう為には、まずは第三者の価値基準を把握している事が必須条件になります。
それが解らずに「自分の価値観を最優先する」行為はそれこそエゴでしかなく「低レベル」であり、「自分が他人を理解しようとしていない」のに「他人が自分を理解してくれる」ような我がままが通るような理屈は成立しえないという単純な事で理解に難しく無いはずです。
これらの見解は若い時には感情的に納得しにくいかもしれませんが、単に個人の感情で納得出来ないという我がままを通そうとするなら何の成長も進歩もなく、行き着く先は“60億分の1”という滅茶苦茶狭い世界の中でしか生きていけない思考停止世界です。
なのでここで伝えたかった本質は「偽善を許容し長い物に巻かれ妥協しろ」と言う意味ではなくまさに全く逆で、しっかりと偽善や不条理に物申し、真の進歩と調和のとれた世界を目指したいならば楽チンな行き当たりばったりの雰囲気や感情や個人論ではなく、努力を伴う明確な思考プロセスによる方法論の構築といった武装が必要だという単純な事実でしかありません。
そういう意味で自身の言動に説得力を持たせる為には、これらを理解、消化する事が必然的条件となってくるし、またそれらの能力を身につけない限り世に物申せる立場に立てない事実があるにすぎません。

とにかく今回は匿名でない事により説得力があったダニーさんのご意見のおかげで、一つの創作物がここに生まれた事に感謝します。
また、今回の見解を“おいどん”にも読んで貰った所、プロセスはどうあれ自身の絵の存在によって結果として生産性があった事を感じて貰えたようです。
なので今後も何かあればご意見などお待ちしています。
ありがとうございました。

WHATEVER 中村泰一郎









Date: 2009/09/09(水)


スケートボードのサイズについて



ヨッシーさんからの質問

Q:雑誌オーリーの別冊の付属DVDでチョッパーさんがやっているパワースライドやノーコンプライはやはり小さいサイズのデッキ等のセッティングのが望ましいのでしょうか?
大阪に行く時間が今のところないので、ネットでいろんなお店を見てセールで売っているものを少しずつ買い集めていこうと思ってるのでデッキ、トラック、ウィールについて参考までにサイズ等をご意見いただけないでしょうか?
お時間があるときで結構です。

A:パワースライドやノーコンプライと一口に言っても、どのバリエーションかで条件が変わってきます。
単にスピードをつけてシンプルなパワースライドをするだけなら大き目の板の方が安定しますが、俺がインフェクションでやっているような2回転とかになるとホイールベースが短めでないとクイックに回るのが難しくなってきます。
ノーコンプライも同じく、シンプルな180ノーコンプライだと大きいくらいの方が常に力加減が安定し易くなりますが、繊細な力加減が必要なバリエーションになると大きい板ではやり難くなります。
ただし小さい板は軽くなる分繊細な力加減で動きが大きく変わるのでそれだけ繊細に扱える技術がないとかえって難しくなります。
今のヨッシーさんの技術がどの程度かも分からないのでなんとも言えませんが、付属DVDでやっている範囲の技なら少しくらいなら小さくても大きくてもそんなに問題ないかと思います。
たまにビデオ撮影などで、かなりシビアなデッキコントロールが求められる場合などのみ調整する事もありますが普段はよほど極端に小さい、大きい、でなければ臨機応変に使いこなすという感じです。

なので俺自身も通常自分で使用してるギアのスペックは把握していません。

あえて言うなら、雑誌などの情報を鵜呑みにせず自分自身で小さめのセッティングも大き目のセッティングも乗りこなしてみる事により、どんな動きにでも対応できる技術が身につくと思います。

とにかく練習あるのみです、がんばってください!!

ちなみに画像は今乗っている板です。






Date: 2009/09/05(土)


“2no”さんよりの投稿
毎回、サイトを楽しみに見ています。
今のままでも、十分すごいサイトだと思いますが、
ファーストフードや戦争、テレビなどの裏話の様に、世の中の、裏話をもっと知
りたいです。そして、自分の生活に何か応用できればいいと思っています。


ご意見ありがとうございます。
また、そういう意識でWHATEVERのサイトに目を通してくれている事を嬉しく思います。

WHATEVERの本質的な目的の一つは、主体性に乏しい生き方をしている人達に意識の変革を促す様な情報を発信する事により、少しでも多くの人が主体性を持ち生きていく事を理想としています。
また、そうなる事により必然的に色々な社会問題が少しずつでも解決に向かい、調和のとれたより良い世の中に進歩するであろうと自分勝手に想像しています。

その中で、民族間紛争、アニマルライツ、フェアトレード、児童労働、情報操作、エネルギー問題、等など、一般的に若者にはあまり意識される事のない具現的社会問題を取り上げる事により、何らかの意識に訴えかけ、より主体的に物事を考えるきっかけとなる可能性は高いのではないかとも思われます。
ご意見にある、世の中の事をもっと知る為の一例として、グーグル検索エンジン等で「アニマルライツ」という言葉に「とは」と言葉を付け足し、「アニマルライツとは」と入れ検索するだけで、例えば「http://arcj.info」等の内容の濃いサイトに簡単に行く事が出来ましたし、また例えば「アニマルライツ」「真実」と検索ワードをふやしていれると、「http://www.no-fur.org/」の様なサイト等にも行けました。
(注:あくまでも検索例を示しただけで、これらのサイトの内容自体を、肯定・否定、するわけではありません)
その中で更に知らない言葉が出てきたら同じく「〜とは」等と検索していくと自身の興味ある事をどんどん掘り下げていけるかと思います。
その時に注意して欲しいのは、所詮それらの検索エンジンも中立性が保障されているわけではなく、何らかの操作のもと表示順序の上下が変動している可能性も疑わなくてはいけません。

次にそれらをWHATEVERというフィルターを通し具体的コンテンツにするとなるとかなりのエネルギー(労力・時間・お金)が必要となります。
勿論、それらの膨大なエネルギーを使ってでもそれなりの結果が生まれれば良いのですが、現実的にはかなりの「無駄」が出てくる事も容易に推測が成り立つ為、現時点ではそれらのコンテンツは創れないというのが結論です。

ここから以下の文章は、それらを創る事になぜ「無駄」が生まれるのかの理由を述べていくので、今回のご要望に直結した内容ではありません。
しかし、それなりの理由があっての事なので、是非目を通してみて下さい。

まず一例を挙げ、どういう事かというと、WHATEVERのデザインに対する説明文等の文章は長い物になると一つあたり通常数日(数十時間)かけて書いています。
仮に親などに生活の面倒を見てもらっている人なら、何十時間かけて書いても問題は無いでしょうが、自己責任で生きている大人だと、そういうわけにも行きません。
家賃や生活費を得る為の労働に費やす時間があり、その次にようやく自由に使える時間が出来るからです。
そのような状況下、WEB上のコンテンツを充実させたり説明文を付ける事により、WHATEVERの売り上げが飛躍的に伸びるなら、金銭的つじつま合わせもできるかも知れませんが実情はそんなに甘くありません。
さらにWHATEVERの場合は他の一般的なブランドと違ったコンセプトを多数維持している為に利益率が低くなっているのでなおさら大変です。
本来の理想は、さらにたくさんの人に情報発信する為に必要な最低限度の健全な利益を得るべきですが、実情は利益どころか常にマイナスになっている状態です。
と言う事は必然的に、コンテンツを充実させたり、説明文を付けたいなら、自己責任でそれらを創る時間を作るしかないと言うのが現状です。
だからと言って刹那的パッションを信念とはきちがえ「ロックだ〜!!」「パンクだ〜!!」「革命だ〜!!」と隣にいるだけでも恥ずかしくなってしまいそうな事を大声で口走り、根性論で無理を続けて自由時間を削り、挙句たった数ヶ月で継続維持出来なくなり中途半端で止める様な物では本質的に意味が無いと考えています。
何故、本質的に意味が無いかと考えるかと言うとWHATEVERを立ち上げ十数年コンセプトを曲げずに維持し、例えば特にこの一年間などは恐らく平均的なフリーター以上の能力を駆使しているに関わらずそれらフリーター以下の所得しかなく、さらにそれを努力で埋めようと約一年間の間は一日も休みをとらなかったりと、人伝いの情報ではなく自分自身の実体験を持って挑戦してみましたが、結局得た事と言えば自分自身の進歩のみで、世の中が大きく変わる等といった事は勿論あり得ませんでした。
(ここで言う「勿論あり得ませんでした。」とはあきらめ等のネガティブな意味ではなく、過去の歴史の事実や情報を前提に想像力を加味すると、あり得ない事は始めから解っていた上で、それら情報レベルではなく自身で挑戦、実体験する事でしか得る事の出来ない新たな事がある事を理解していた事と、そこで得た事こそが真の発展に繋がるからという意味)
そういう実体験をもとに考えると、なぜかそういう自称「パンク」で「俺は一生パンクや〜!!」と声を大に言い切る人ほど、いつも一番先にシーンから消えていくのには不思議で仕方がなく、若い時には腹立たしく思っていましたが、今では、「そこまで一貫性の無さ過ぎる人って、冗談じゃなく吉本のお笑いか何かのネタに使えるんとちがうかな〜」と一人で吉本の舞台上でのシナリオと配役を勝手に妄想し笑いそうになってしまう。
そんな一人笑いをこらえニヤニヤしている所を誰かに見られたら、まるで俺が危ない人の様に思われてしまうではないか!!
と、話を戻し、そう考えると理想として本当の意味で信念を維持し情報発信し続ける為には、最低限度のゆとりも考慮に入れたスタンスを前提にしなくてはいけません。(上記にある通り実情はそんなゆとり全く無いですが(笑))
そんな状況下、個人的には損得で物を言うつもりは無いので、自由時間を削り費やした時間分のエネルギーが効率よく皆の進歩等に100%繋がっているなら有意義だと感じる事も出来るのですが、実体験上そうでない部分が多いのも事実です。
仮に、書き手と読み手の間に「相互理解する為の努力」をする意思があり、書き手が自由時間を削り10時間かけて作った文章を、読み手も同じだけ自由時間を削り10時間かけて理解しようとしたけれど、書き手、読み手、の文章作成能力、文章読解能力、の不足によって伝えたい事の本質が100%で伝わらない。
と、なるのであれば、あきらめではなく事実として仕方が無いので納得できますし、書き手、読み手、が次のステップに向かって努力し、それぞれの能力の向上を図れば良いだけの話なのでなんら問題はないと思います。
ですが、挑戦し続けている中で見えてきた事実としては、10時間かけて作った物をたった5〜10分でさらっと一度読み流したに過ぎないのに他力本願に「難しい!!」といって複数回読む事もせず諦めてしまう、「能力が無いのではなく努力が出来ない」人や、同じく5〜10分でサラッと読み流したに過ぎず半分も文章の意味の本質を理解していないのに分かった気になって終わってしまう「自信過剰」な人が多いのが実状です。
さらにたちの悪い人等は、言いたい事の本質とかけ離れた部分で重箱の隅をつついて「国語的に間違っていて、誤字脱字も多く読めた物じゃない!!」と鼻息を荒くしている人達もいます。
さらに中には、そういった事をネット上の巨大掲示板等に匿名で書き込み、「俺様が言うたった!!」と興奮しすぎてチンチンを固くし、白目をむきよだれを垂らし海老反りになって気絶している人もいるかもしれません。
とりあえず、そんな危ない人には触れないでおくとして、勿論、文章作成能力の優劣もある為「あの程度の文章なら、もっと短い時間でもっと綺麗に分かり易く書く事ができるよ〜、時間がかかりすぎるのは書き手の能力が無いせいやん!!」という人がいるであろう事も理解しています。
なのに関わらず何故こんな事をしているかと言うと、そういう人達は揚げ足を取る事しかしない無責任な口先だけの人で、どんな詭弁を並べ立てようがアクションを起こさないという事実が世の現実だからです。
まさにどこぞの政党の様に「代替案や方法論のない否定論」を述べる事がアクションの一つだと勘違いし、またそれを支持する事により自身もアクションを起こしている気になっているナンセンスな民意と何ら変わらないのではないでしょうか。
そういう考えの下、能力不足を自己認知しつつも、だからこそ仕方がなく時間で補うという努力を持って書いているだけです。
なので、脳内完結した低レベルで妄想的な詭弁で、しかも匿名で一方通行的にケチを付け、それがアクションだと勘違いし自己満足している暇があるなら、是非そういう人が何らかの有意義なコンテンツを作りWHATVERにリンクを申し出て欲しい所なのですが、現実的にそんな奇特な人は中々いません。
高学力を活かし理論武装した所で、実としてアクションを起こせない人と、学がなくとも実として進み続けている人とのどちらが有意義かは子供でも(もしくは子供だからこそ)分かるはずです。
とそんな嫌味であおった所で、それらの人がどうせ何もしない事は想定内ですが(笑)。
と、熱くなる前に話を戻します。
また、人によってはそれ以前に悪気なく説明文をたかがチラシ一枚といった感じで目も通さず捨ててしまうのも事実です。
勿論、悪意無く捨ててしまう本人に、「読む責任も義務も無い」事は前提として理解して貰った上で話を進めます。
ここでしっかりと考えて欲しいのは、例えばこの上記一文をとっても、先ほど述べた様にさらっと5分〜10分で読み流してしまうと、チラシ一枚が捨てられただけに過ぎなくなりますが、ちゃんと想像力を駆使しリアリティを持ちじっくり読み取る少数派の人だと「「チラシ一枚が捨てられた」」になり、=「しんどい思いをして得た少ない所得から無理して算出したお金と時間で作った説明文が読まれる事なく無意味に捨てられているのがリアルな現実===無駄の多い非効率な行為なのか?」と自身に置き換え想像します。
またそのリアルな想像力があるゆえ「では、次はどんな方法にかえて挑戦すれば良いだろう?」と次の実行動に直結しやすいのではないかとも思います。
ですが、大多数の人はそのように文章を、「単に見る」事と「読む」事との違い、もしくは「単に読む」事と「熟読」する事に違いが存在する事に気づいておらず、昨今言われる「想像力の欠如した若者達」という言葉に当てはまってしまっています。
となると、次にそれら「想像力の欠如」の抜本的改革を目指そうとすると、幼少よりの教育を含む社会環境の変革が前提になってしまい、WHATEVERの現実的に出来る事の範囲を超えてしまいます。
それらを基にかんがえた時、WHATEVERとしては今までどおりのパッションは維持しつつも、具体的方法の進化に意識をおかないと無意味な事になってしまいます。
少し難しいかもしれませんがどういう事かというと、「「新たな事に挑戦し行動する信念を持ち合わせていないに関わらず、歴史の事実等を建前に過去にすがり詭弁で塗り固めた口だけの偽者」と「自身の持ちえる能力では現実的に不可能な理想論に固執する事を信念と誤解し進歩無く留まり続ける事」と「自身の持ちえる能力で現実的に不可能な場合は合理的に見極め現実的に可能な方法論へと変化を持たせ新たに挑戦する事」」の三者は似て異なると言う事です。
ですから今までは、現時点で出来る範囲の現実味のあるアクションの一つとして、今回などの様な文章に労力をかけて創り続けてきたわけですが、机上の論ではなく自身で実体験した現実を踏まえると、現実は先ほど述べたとおりです。
なので、俺と同じく能力は無くとも、文章の本質を理解する為に相互努力する意思のある想像力と行動力の可能性を持ったWHATEVERを支持してくれている人達には大変申し分けなく思いますが、冒頭にも述べているように現時点での実情では必要以上に「無駄がでてくる」という現実があり、真の進歩の為には無駄をはぶき効率化を目指さなくてはいけないという現実を優先順位に置く為にも、世の中の様々な具体的問題を色濃く一つ一つ取り上げると言う事は現状の現実としては難しいです。
となると物理的に限られた現状の中でWHATEVERとして出来る事は、具現的な諸問題の具体的内容自体に膨大なエネルギーを使うよりも、それらの文化や価値観が存在すると言う事すら知らなかった人になるべく効率よくそれらを知って貰う為のキッカケづくりや、またWHATEVERを通してそう言った事を知った人達が、単に「新しい知識が増えた」で終わらさず、創造力を加味し実行動としてそういった事を広めてもらえるべく促す為の今回の様なコンテンツの作成等こそがWHATEVERの役割だと考え運営しています。
それなら、「それらの具現的社会問題をテーマにしたサイトにリンクを貼る事によりWHATEVERとしては時間短縮が図れるのでは?」と考える人もいると思います。
ですがそれらサイトの中でも物によっては、若い人から見ると表層的にはセンセーショナルに見えていても本質的には何らかに偏った考え方を推し進めているサイト、も世の中には結構あります。
実際、客観的分別がつかない乏しい人生経験と若さゆえの熱意があいまってしまい、それらの偏ったサイトに心酔してしまう人達もいる為、それらの内容全てをチェック出来ない状況下、中途半端に紹介しない方が良いと考えています。
そういう意味も含め冒頭で紹介したサイトに「(注:あくまでも〜)」と付け足したのです。
なので、個々のサイトの内容に関しては、しっかりと客観的に自己判断して下さい。
また、当サイトも客観的観点を目指しているに過ぎず、悪意は無くとも客観性に欠いた意見を述べている場合や可能性もあると思うので、常に最低限度は疑って目を通して貰った方が良いと考えています。
と言う事で結論としては、それら社会問題をテーマにした情報源はインターネット上にかなりたくさんあり、冒頭に挙げた方法で自分自身で掘り下げて行く事はそんなに難しくないので、「DO IT YOURSELF」を念頭にがんばって自分自身で調べてみて下さい。

ここから先は更なる補足の様な物なので面倒くさくない人は是非読み進めて下さい。

色々な物事に興味や好奇心を持つと言うのは凄く素晴らしい事だと思います。
でも忘れないで欲しいのは、それらで得た知識や薀蓄(ウンチク)を基に論理を振りかざした所で、実行動が伴わなければ無価値でしかないという事を忘れてしまい、そのまま大人になってしまった人が世の中にはたくさんいると言う事です。
皆にはそんな大人になって欲しくないと思いつつ、今もこの文章にエネルギーを注いでいるので、是非この文章が皆にとって有意義な物になれば嬉しく思います。

当サイト内の過去に作ったコンテンツを自身で読み返してみると、過去の物にさかのぼるほど文章作成能力の無さを自身で痛感し、それが為に100%理解して貰えない事に関しては申し訳なく思います。
しかし今回の文章で何かを感じてくれた人は、「相互理解する為の努力」をキーワードに、過去に一度読んだ事のある文章でも、こちらの文章作成能力の無さを上手に読み飛ばしつつ、しっかりと一語一句に意識を持ち再読して貰えると、以前では気づかなかった新たな物の見方が広がるのではないだろうかとも思います。
そして情報の、発信側、受信側、相互のエネルギーが少しでも無駄なく有効的に使える様になればなるほど、世の中は良い方向へと変わっていくのではないでしょうか。
そう言うことで、今後は今回述べた理由にもある様に、事実として多数派である「想像力や創造力を駆使する努力を怠っている」人に偽善的に納得してもらう為に時間を割く様な暇は無く非効率的なので、過去にある文章の再編に力をいれつつも、新たな文章を作成する頻度は下げていくかも知れません。
そうなると、まさに「想像力」の無い一部の人には「モチベーションが下がったのでは!!」等と誤解を受けるかもしれませんが、それこそ「想像力」を駆使し直感を高めて判断してもらえれば、いちいち言語で証明しなくても理解して貰えるのではないかと考えていますし、真の信念の維持の為には必然的にそうしなくてはいけないと自身で感じています。
(今回の文章の実例として、まさにこの文末と同意の事が「TOP」下部の<補足>を押すと出てくる「はじめにの補足説明」、の文末5行程度ですでに記載していますが、さらっと読み流した人は記憶に無いのではないでしょうか)

最後に今までの行為自体が無駄だったわけではないので誤解されない為に説明します。
いつも詭弁レベルの理論武装を否定しますが、誤解の無いように言うと、学者等の研究レベルの論理を「しょせん論理だ!!」と言っているわけではありません。
何故かというと論理を構築している学者は「論理を構築する」という行為自体を「実体験」しており、その途中過程での失敗も経験し、それらを反面教師にする事により進歩していきます。
要は「論理を構築する事(自身で新しい物事を創造する)」と、第三者が創り上げた情報やすでに構築されている論理を「単に記憶しているに過ぎない事(自身による創造性はマッハゼロで何も生み出していない)」とは根本的に別の事だという事です。
ですが、そんな違いすら理解できていない、創造力&想像力マッハ0の人に限って自身が構築したわけでも無い論理をもとに言葉遊びレベルの詭弁を学の無い第三者にひけらかし、自身がそれら学者と同等レベルだとはきちがえている低レベルな理論武装を否定しているに過ぎません。
スケートボードに例えてもそんな事が多々あります。
本人は根性も無く練習もほとんどせず、家の中にこもりビデオでトッププロの映像ばかりを見漁って、たまにみんなの練習している場所にスケボーも持たずに現れては、「誰々は、何々のビデオで何々って言う大技をやってたけど、何々って言うチームの誰々は同じ技を出来なかったから大した事無い!!」とさも自分の事のように鼻息を荒げ、自慢げに話だけして帰っていく変な人も世の中にはたくさんいます。
さすがにそんな漫画みたいな奴はおらんやろと思うかもしれませんが、実際ネット上の巨大掲示板等を見てみると本当にそんな人もたくさんいる事がわかってもらえると思います。
述べるまでも無く本当に大事なのは何かと言う事は分かると思いますが、それらを踏まえ冒頭で述べた「無駄」というのは決して「無意味」だという事ではありません。
進歩というのは、無駄に見える失敗を実体験する事により不足や不備を知り、成功へと向かう為に想像力や創造力が必然的に鍛えられる事により成されるからです。
それともう一点、今まで無駄になっていたコンテンツ作成に費やしたエネルギーを無駄にしない方法があります。
仮にWHATEVERに共感・理解できる人の割合が先天的能力に依存する普遍の本質だったとして、100人中10%のわずか10人だけだったとします。
と言う事は残りの90人に対して無駄なエネルギーになっていたわけですが、その共感・理解してくれている10%の人達が、一人あたり身の回りにいる10人にWHATEVERの事を紹介してくれたとすれば、本質は普遍なのでそこでも9人の人には共感してもらえなかったとしても、残りの1人には伝わり、結果として最初の理解者の倍の20人の人に共感・理解して貰える事になります。
と言う事は、一つの文章作成にかけたエネルギーは不変であっても効率は2倍になります。
そう考えれば、後も同様に皆が広めてくれれば悪徳マルチ商法のネズミ算の如く理解者を増やしていけるのではないでしょうか。
そうなれば、WHATEVERとしても同じ労力を使っても無駄は減っていく事により、今まで以上に質の高いコンテンツ創り等を目指せるのではないかと思います。
なので、すでに自分なりのアクションを起こしていて忙しい人は別だとして、理解・共感こそしていて実行動する気持ちやパッションは持っているが、具体的に自分自身がどんなアクションを起こして良いかが分からず葛藤していた様な人にお願いがあります。
まずは「WHATEVER」というブランドが存在すると言う事だけで良いので身近な所からで良いので広めて貰えると有難いです。
勿論、いきなりブランドの持つ本質的価値観等をこむずかしく伝えようとするとカルト宗教的な物と誤解されてしまい色眼鏡で見てしまわれる可能性もあるので、単に「変なスケボーの動画あるで〜」とか「パンク系か何か知らんけど、それっぽい事も乗ってるで〜」とか「とりあえずアホっぽくておもろいで〜」とか何でも良いので、まずは存在自体を知ってもらわないとスタート地点に立つ事も出来ません。
人によっては、WHATEVERのサイトの「文章は読むけど、スケボー動画は興味無い!!」という人もいれば、逆に「スケボーの動画以外は面倒やから見てない!!」と言う人もいると思います。
これらは個性の違いで、どこに興味があるかが違うだけで、「WHATEVERの存在自体を知らない!!」事とは根本的に異なります。
なので、何らかの形でWHATEVERに協力してくれる意思があったけど、何をやったら良いかが分からなかった人は、自分のペースで、一人でも十人でも百人でも〜万人でも良いので、まずはWHATEVERの存在だけでも友達等に広めて下さい。
勿論、WHATEVERに共感してくれている様な変な人(笑)の中には、「友人がいない」とか「人との会話が苦手」といった個性の人も多いと思うので、そんな人は例えば自分の自転車の目立つ部分にWHATEVERのステッカーを貼る、とか何らかのアンケート等でWHATEVERをおススメしてくれるとか、方法は自分次第で自由で無限にあるはずです。
その後、そのWHATEVERの存在を知った人がWHATEVERの価値観に興味を持つか持たないかは、その人の自由選択です。
その存在を知らずに蚊帳の外に居る事と、蚊帳がある事を知っているに関わらず自由選択で中に入らない事も似て異なる事です。
そんな、「WHATEVERの存在を人に伝えるだけなんてアクションの内に入らないと」誤解する人もいるかもしれませんが、そうではないです。
例えば、「ボランティアをする意思と時間はあるが、必要な設備投資の為のお金が無い人」と「ボランティアする意思とお金はあるが、それに費やす時間が無い人」がいたとします。
この時にもし、「お金だけ出しても、自身が参加しないのでは意味が無い!!」と文句を言い、「じゃあ、参加する時間が無いからお金も出しません!!」と言い合って全く事が進まないとしたら、どれだけ無駄な事でしょう。
それと同じで、いくらWHATEVERのコンテンツが充実しても広めてくれている人達がいないと成り立たないのです。
よく言われる職業の貴賎の有無は俺には分かりませんが、WHATEVERに関しては、創り手、広め手、に貴賎や優劣は無く、唯一貴賎があるなら“読んで知識をふやした”だけに過ぎない、読み手、に徹しているだけの実行動の伴わない人だけがその枠内に収まってしまうのではないでしょうか。
こういう事を言うと、またもや想像力に欠け理解する努力を怠る人の目からみると、偏った宗教の布教活動の様に誤解されるかもしれませんが、そうではありません。
ちゃんと内容理解している人なら解っていると思いますが、WHATEVERの発信する情報の観念形態が変質的カルト宗教とは根底から違うからです。
なので、これを読んでテンションが上がったからといって、偏った宗教の信者の様に「私が良いと考えているから、あなたにとっても良いはずだ」といった考え方で押し付けて伝える様な事だけは無い様に注意して下さい。

と言う事で、すでに自分なりのアクションを起こしている人は別だとして、もしWHATEVERの発信する情報により知識を増やしたり、何らかの考え方を進歩させ、共感、支持しているという事を自身の心の中も含め第三者にも表明し、長いものに巻かれやすい今の社会性にアンチテーゼを掲げているのに関わらず、これだけ言っても何もしない人(自分のペースでがんばっているけどたまたま結果が出ていないのは個性の範疇なので、さらにがんばって下さい)は、都合よくそんな時だけ「WHATEVERを広めなくてはいけない社会的責任は自分には無い!!」といった卑怯な事は言わないで下さい。
もちろん社会的責任はありませんが、WHATEVERイデオロギーの中では十分に無責任だと言う事をしっかり理解し行動して貰えると嬉しく思います。
個性によって方法や結果のパターンは無限にありますが、行動していると言う意味や進歩しているという意味では全員等価です。
唯一、知識ばかりたくわえ何の行動もしない傍観者だけが進歩ゼロで永遠に取り残されていくのではないでしょうか。


と言う事で、今回はご要望に直結した内容ではありませんでしたが、WHATEVERとしては他のサイトでは補えない様な独自の視点や切り口でのコンテンツ創りでないと意味が無いと考え今回の様な文章になりました。
なので、捉え方一つでそれなりの意味と価値のある物になるのではと思います。
今後も意見、要望などあれば投稿の方、宜しくです!!

中村泰一朗
Date: 2008/03/17(・E木)


BGM
東京都の高橋さんからの質問です


WHATEVERサイト管理人 様

初めまして。東京都に住む高橋という者です。
高校生の時にWHATEVER、チョッパーさんに魅せられて以来、体重
は20kg増えてしまった今でも心には
その頃の自分がずっと大切に残っています。ロクにオーリーも出来なく
なってきましたが…。
すいません。突然ですが、質問させてください。
こちらのサイトのBGMは誰の何という曲なんですか?
どこかで聞いたことがあるんですが、どうしても思い出せず、サイトの
どこかに書かれているかと思ったのですが、
見つけられませんでした。凄い好きな感じなんです。教えてください。
宜しくお願いいたします。


と言う事で、同様の意見もあると思うのでこの場をかります。
バンド名は”CHUMBAWAMBA(チャンバワンバ)”と言い、以前の曲は、「SALT FARE,NORTH SEA」で、今現在2007年の3月の時点で使っている曲は「THE BIG ISSUE」と言う曲です。
基はパンクバンドで、CRASSやビョーク等と近いシーンで活動していたらしいです。
彼らの曲の中でも「TUBTHUMPING」と言う曲は最も有名で、10年近く前に世界中で流行った曲なので聞けば知っているかもしれません。
曲調は多種多様な物があり、何でもいい加減にごちゃ混ぜにした流行り風のミクスチャーもどきバンドの様に誤解を受けるかもしれませんが、本質は全然違い、曲自体をポップにする事により、より色々な幅の人達が聞ける様になっていますが、肝心の歌詞はメッセージ性の深い物ばかりです。
そういう事からも、WHATEVERの物創りにも凄く影響を与えたバンドの一つなので「LINK」のコーナーのWHATEVER関連にもリンクを貼っていますので、興味があればチェックしてみて下さい。



Date: 2007/03/03()


ブランドの作り方
晴澤 昭比古さんからの質問です。

WHATEVFRのホームページ見ました。俺はSK8もPUNKも大好きなのでWHATEVFRは僕にとって最高のブランドです。WHATEVERの作品には一つ一つにメッセージがこもっていて、本当に感動させられます。一番好きなのは、Eccentric Powerです。アナーキーな感じがかっこよすぎます!ところで、僕は中学校の頃からずっとポップなパンク系のブランドを作りたいと思っていました。絵を描く事も好きなのでデザインもいっぱいあります。大学生になった今、バイトを初めてお金を貯めていざブランドを作ろうと思ってのですが、その方法がわかりません↓プリント工場に頼めば、オリジナルのTシャツを作ってもらえる事も分かるのですが、どこで売ったらいいかも分からないし、本当に今とまどってます。ブランドというのはどのように作ればいいのでしょうか?

同じ様な疑問を持っている人も多いと思うのでなるべく詳しく説明します。
「ABOUT US」と少しかぶりますが、WHATEVERの設立の経緯も絡め説明します。
まず俺がSK8を始めた頃のSK8ブランドは基本的にアメリカ等から輸入されてきた物が多く、そういった物はそれらに運賃等が上乗せされる事もあり基本的に若者には少し高い価格帯の物ばかりでした。
そんな中、自分自身は流行りにはあまり興味が無かったし、服を買うお金があるくらいなら新しいスケボーの板を買った方がいいと考えていたので(当時は板自体も高く、俺の周りは大体半年に一枚買い換えるのが普通だった)ほとんど服にはお金を使いませんでした。
ですが常に世の中に不満がある人間なので「あまりお金が無いはずの若い子に対する服にしては高い気がする、何か大人に騙されている気がするけど文句だけ言って何の行動にも起こさないダサい奴になるのは嫌なので、とりあえずは行動に移そうという事で、自分自身で服を安く売れないか挑戦してみようと思いました。
多分22歳頃の事だったと思います。
ですが、その時点では晴澤君と同様で何も知らなかった為、全くどうしていいか分からない状態で、ティッシュ配りのアルバイトをメインにSK8していただけで、かろうじて高校は出ていますが学力も平均値以下で下の中くらい。
就職した事も無いので商売の事やブランドの作り方なんて何も分かりませんでした。
しかもインターネットの様な便利な物もあまり普及していなかったので、今と違い何かを調べるにも調べようが無かったりする事だらけで大変でした。
ですが、いきなりここで結論を言ってしまうと、「状況や環境の責任にする奴は、そこまでの奴でしか無い、為せば成る」と言う事だと思います。

と、いつもの様にここで熱くなってしまうと話が進まなくなるので、そのテンションを押し殺しつつも、具体的な話を進めると、まずは何の目的でブランドを立ち上げたいかによっても進むべき方向が変わってくると思います。
一口にブランドといっても、例えば、お金儲けをしたい、自分の作った服やデザインを皆に見てもらいたい、他人に評価して欲しい、メッセージを伝えたい、等など人それぞれ目的は違うので進め方や方法も異なる上、WHATEVERのやってきた方法は特殊な為、今回はあくまでも一般論を言います。(という事でWHATEVERの方法とは異なる部分が多いので誤解の無いように)
まずは、服を作ったとしてもその次どうやって売ればいいかですが、その前に基本的に理解しておく事として、ブランド(デザインを作ったりする所)を成り立たせる為にはブランドの外に、生産業者(プリント工場や縫製工場等の製品を加工、生産してくれる所)、小売店(分かりやすく言うとショップの事で直接末端消費者に販売する所)と、大きく役割が三つに分担されています。
その中でブランドを運営したいなら、自分自身がどの様なコンセプトやイメージを持ったお店で取り扱って欲しいかを明確にします。
例えばPUNKテイストを持った服をヒップホップ系のお店に置いても実質売れにくいという現実があります。
もし俺が若い頃だったら「そんな常識やイメージに縛られたくない、挑戦してみないと分からない!!」と言って挑戦していただろうと思いますが、俺はそんな考えの基、納得できない事は自分で全て実質行動として挑戦してきた結果として色々勉強してきましたが、「世の中そんなに甘くない!!」というのが今回の場合の個人的な見解です。
どういう事かというと、学生や子供と違い責任と義務が絶対条件として求められる大人の世界は厳しいもので、分かりやすく例えるとTシャツ一枚に対しても「店の家賃÷店内の全アイテム数=Tシャツ一枚にかかる家賃」まで計算したりします。
と言う事は、仮に一月あたり40万円位の家賃のお店で(街の中心地にある物件だとして)、店内に同じ値段のTシャツが100アイテム置いているとしたら、Tシャツ一枚にかかる家賃が一日あたり約133円、もし一月売れずに残ったら、Tシャツ一枚にかかる家賃は4000円、半年売れ残ったらTシャツ一枚に対する家賃は24000円、となります。
勿論、いくらでTシャツを売るかによっても変わりますが、普通に考えればそんな家賃を払っていたら赤字になるのが普通で、そうなると店としてはどうしても一日でも早く売らないと、どんどんリスクが高くなっていきます。
また仮に家賃は払えたとしても、働いている人のお給料やその他の経費も必要なので実際は更にシビアです。
となると店の側としては、一日でも早く売れる物ばかりを仕入れようとするのが当たり前です。
せこく聞こえるようですが、それが世の中の現実で、もしそんな中でテイストの明らかに違うアイテムをどうしても置いて貰いたいなら、それらのリスクは置きたい人が自身で背負うのが筋道で責任を持った大人の行動だということです。
脱線してしまいましたが、話を戻すとそれらを含め、まずは自分が置いて欲しいお店のイメージを明確にします。
次に実際自分の作った服を分かりやすく見てもらう為のカタログを作成します。
カタログを作るにも特にルールらしいルールは無いので、自分の思うように作り、それがそのブランドの個性ともなるのですが、基本的に最低必要な項目としては、ブランドやアイテムのコンセプト、アイテムの写真やイラスト等(勿論、現物のサンプル等があればお店の人に分かってもらい易い)、サイズ展開や色のバリエーション、上代(一般的な売値の事)、下代(お店に買い取ってもらいたい値段)等の価格や納期(注文を受けてから何時頃お店に届ける事ができるか)等は、必須項目とされています。
業種や職種にもよって多少違いはありますが、一般的にWHATEVERの様なブランドは売値(上代)の六割くらいが卸値(下代)となり、そのくらいの値段でお店に買い取って貰うのが一般的とされています。
具体的な例を言うと、WHATEVERの「ANTI」や「スラッシャー風」等のTシャツはお店でみんなが買う値段は、2800円ですが、実はその六割の1680円でWHATEVERが各取り扱いショップさんに買い取って貰っています。
と言う事は、もし売れた事を前提で、2800円(売値)―1680円(売値の六割)=1120円(売値の四割)がお店の取り分となります。
ですが、ここで勘違いして欲しくないのですが、お店が1120円の利益があるかというと実はそこからさらに先に言った様に、お店の家賃、人件費、光熱費、通信費、送料、等等の必要なお金(経費)を差し引いた残りのお金がやっと本当の利益となります。
そういう事からも利益の薄いWHATEVERを取り扱ってくれているショップは、お金だけを最優先にしている様なお店ではないので、そんな協力もあってWHATEVERが成り立っている事も理解して下さい。
同じくWHATEVERとしても1680円が丸儲けではなく、そこから材料代、デザイン料、印刷の型代、印刷代、人件費、事務所家賃、光熱費、などなどを全部差し引いた数百円しか残りません。
しかも売れた場合が前提なので売れ残った場合は、利益どころか逆に赤字になるリスクも含めた時の本当の利益はさらに下回ります。
少し脱線させますが、そういう事からもたまに「WHATEVERって極力安くとか言っているくせに、Tシャツ2800円もするけど、レコード屋で買ったバンドTシャツは、1800円やった!!」と言う人がいますが、一般論で言うとレコード屋で1800円くらいで売っているTシャツはブートレッグ(デザインした人等にお金も払わず無断でデザインを使用している物)の場合が多く、また仕入れをせず自分達で勝手に作っている場合が多いので一枚売れると丸ごと1800円が手元に残ります。
それに対して先ほど書いた様に一見2800円に見えても実は1680円で更にそこからデザイン料等も差し引かなければならない上、物によっては型代が1800円のTシャツよりも2倍、3倍のコストがかかっている物もあるWHATEVERのTシャツを高いと思うなら、それ以上安く出来る方法を述べた上で言って欲しいと思います。
明確な方法論も提示出来ないのに人の揚げ足を取ったり文句だけ言うなら、頭の悪い小学生や鼻息が荒いしか能が無い二流の政党と同じでナンセンス!!(というか、おれ自身が若い時はそんな奴だったからこそ、大人になってまでそんなダサい奴やったら自分自身駄目だと気付いた!!(笑))
誤解の無い様に補足しますが、1800円でブートTシャツを売っているレコード屋さんがインチキかと言うと、そういう訳でなく、1800円丸ごと手元に残ると言っても、同じくそこから家賃や人件費、その他の諸経費は同じ様にかかる上、それらのTシャツは本物が入手困難な物が多い為、若い人達にそれらを広める事を目的としている場合もあり、逆に実際問題お金が目的なら手間隙を全て含めて考えると1800円で売っても本当の意味の利益にはなりません。
また、どんなアイテムに限らずですが、自分で作った物を友達に直接売ったりすると上記の理由を含めあらゆる経費がかからない為、かなり安く売る事が出来ますが、そんなの当たり前で、それでは子供の遊びレベル。
自分自身も昔は何も知らなかったので同じ様に友達に直接売った場合凄く安く出来るので普通に売っている服の値段が高いとケチを付けていました。
ですが、その形態を一生維持するというなら本当の安さとなりますが、それではブランドとしての規模拡大は図れず進歩と生産性は望めず、やはり子供の遊び。
さらに向上心を持ちブランドの規模拡大を考えるなら必然的に設備等、その他諸々に経費がかかってくる為、必然的に直接売る物と価格がどうしても変わってきます。
それを含め、同じ条件下で安く出来てこそ本当の安さであり、真の意味のクリエーションだと思います。
ちなみに子供の頃、缶ジュースの中身の原価は数円だと聞いてぼったくりだと思った覚えがありますが、今考えればまさに世の中を知らない子供の発想。
ちなみにWHATEVERと同様の業界では一般的に、アイテム自体の原価は大体売値の三分の一前後くらいとされていて、どういう事かというと例えば、売値が9000円のシャツがあったとすると、まずブランドがデザインをして生産は縫製工場等に発注したとします。
その時におよそ売値の三分の一の3000円(原価)くらいでブランドが生産業者に頼んでシャツを作ってもらいます。
次にその3000円で買い取ったシャツをブランドが各取引先であるショップに上記で説明した様に9000円の六割の5400円で売ります。
次にショップが9000円で店頭に並べる事になります。
分かりやすくする為にアバウトで書いた為の誤差はありますが、生産者、ブランド、小売店、と、およそですが売値の三分の一ずつ程度が各々の取り分になり、そこから各々の諸経費を引いた残りが本当の利益となります。
ちなみに「D.I.Y.」のコーナーの動画で出てくるシャツは売値が12800円でWHATEVERの中では少し高く思われていますが、じつはあのシャツも赤字アイテムなのであえて経費計算をしてみます。
まず売値の三分の一という事は、約4000円程度を生産原価にしないといけないのですが、胸のプリント部分の型代は一般的な工場で考えると一色に付き8000円くらい、六色あるので合わせて48000円、それを生産数の約25着で割ると、一枚あたり1920円更に印刷代は別で一枚あたり500円前後なので2420円、更に縫製工賃もクオリティによって変わってきますが、一般的には2000〜3000円、この時点ですでに4000円を軽く超えていますが、さらにデザインやサンプル製作に要した経費、パターン(設計図)作成代金、生地代、等などを含めると明らかに生産原価の割れた赤字のアイテムだという事は分かってもらえると思います。

それらの最低限度のお金の仕組みを理解したら、次はカタログを持って自分の取引して欲しいお店に自分のブランドを売り込みに行きます。
俗に言う営業という奴です。
一般的には、この時に自分が誰かという事を分かってもらい易くする為に会社名(ブランド名)や自分の名前が入った名刺等を用意し自分の身分を証明します。
まさにテレビドラマのイメージで背広を着た人がよくやっている様な奴です。
ですが、あくまでも背広や名刺は体裁上の場合が多く、実は特にルールは無く、本質を言うと自分のブランドやアイテムの良さをいかに上手にショップの仕入れ担当者さんに伝える事が出来るかにかかってきます。
実際、俺は背広も持っていない上、ブランドを立ち上げてからのこの10年以上いまだ名刺を作った事は無く、熱意が伝わればそれで良いと考えています。
勿論、人によっては背広や名刺は最低限度の初対面の人に対する礼儀だと考えている人もいるので、場合によっては印象を悪くする可能性もありますが(笑)。
先ほど出て来たカタログはこの時に、相手に自分のブランドのアイテムがどんな物なのかを伝えるのに必要で、デザイン性を口で伝えても相手はピンときません。
さらにお店の人が自分の店のイメージにマッチしているか、アイテムの作りが本当にしっかりしているか、家賃や人件費等の経費を考え差し引きしてもお店に利益が出る様なアイテムか、お金のやりとり等するのに身元がしっかり信用の出来る人か、ちゃんとした銀行口座をもっているか、などなどを話します。
そこでお互いの条件が折り合えば取引が始まります。
ですが勿論その担当者さんの提示する条件をクリアに出来なければ取引は出来ないので、条件をクリア出来る様に改善するか、もしくはそれが信念を曲げる事に繋がるなら理解してくれる別の店(取引先)を探すという事になります。
また場合によっては、買い取って貰うのではなく委託販売という方法もあり、どういう事かというとお店にとりあえず置いてもらい、売れた分だけ買い取ってもらうという方法もあります。
この方法だとお店の側は売れ残っても家賃と手間賃のリスクしかなく、アイテムを返却してくるのでブランド側のリスクになります。
ただしその場合、ブランド側のリスクが高くなるので掛け率が六割ではなく七割くらいとする場合が多いようです。
またもや2800円のTシャツで例えると、買い取って貰うと1680円入ってくる所が、委託だと売れた場合には1960円入ってきます。
ただし売れなかった場合には手元にアイテムが残ってしまうので生産原価や手間隙が丸ごと赤字になってしまいます。
上に述べた事は一般論でしかないので極端な例を述べますが、ブランド自体が凄く人気があり120%間違いなく売れる保障があれば「掛け率を9割でもいいから売って欲しい」というお店もあるだろうし、逆に明らかに120%売れないだろうという様なブランドのものは「掛け率が一割だとしてもお金を捨てるのと同じだから絶対いらない」という場合もあり、要は全てが理にかなうかどうかが大事なだけで一般的なルールやシステムが大事なわけではありません。
そういう意味では知識や経験がなくてもD.I.Y.の発想で何とでもなるというのが結論だと思います。

ブランド運営の大まかな流れはこんな感じで一見難しくモチベーションが下がってしまいそうですが、始めに述べた様にここに書かれている事は、俺自身も同じく何も知らない状況から周りの人の協力を含め全て独学で学んできた事なので、始めは分からなくて当然で少しずつ運営していきながら覚えて行けば良いと思います。
実際、俺が始めた時は、カタログ、銀行口座、FAX、伝票等、何も無く、というかブッチャケて言うと作ったTシャツのみが手元にあっただけで、その次どうしてよいか分からずオタオタしていました(笑)。
しかし本来ここに書いた様な事は、商業や経済を学ぶような大学や専門学校でお金というリスクを払って学んだり、就職して社会に出て時間や自由を削るリスクを背負い経験値を身に付けるのが一般的で、それが嫌で俺の様に独学で学ぶというならそれなりのリスクと覚悟も必要で他力本願で甘い考えでは成り立たないのでそこをしっかり理解した上でがんばって下さい。
という事で最低限度の流れは教えましたが、俺の時はこんな最低限度の事すら調べられる環境は少なく、さらに難しかった事を考えると何でもかんでも教えてあげるというのは本人の為にならず、かえって良くないと思うので後は自分自身で調べてみて下さい。

為せば成ります、がんばって下さい!!
Date: 2006/08/05()


捻挫

姫路出身で青森県在住の西川直樹さんからの質問

足首捻挫して今滑れないのですが、滑れない時は何をしたらいいでしょうか?滑れなくてかなりウズウズしてて治ってないのに滑ってまいそうです!

もしかしたらすでにチェックしているかもしれませんが、スラッシャージャパンの最新号(vol、15)のカオス・チャンネルで「ポテトロール」(当サイトのSKATEのコーナーにさらに難易度の高い動画有ます)を披露しているのですが、それのワンフットバージョンを練習するというのはどうでしょうか(検証確認していない為、物理的に可能かどうかは分かりませんが)?
これなら家の中でも練習できる上、失敗しても足首自体には負担が掛かり難い上、もうじき梅雨なので雨の日にもOKだと思います。
他には着地で少し負担が掛かりますが、ワンフットマニュアルの(HEROINのDVDで俺がバンクでやっている片足でマニュアルする奴)もいいのではないでしょうか。
がんばって下さい!!
Date: 2006/05/30(・E土)


「メンズノンノ」
井上 太志 さん(東京都)からの質問です

チョッパーさんに質問なんですが
この前友達の家においてあったメンズノンノを見ていたら
髪型のコーナーにチョッパーさんが街角スナップのようにでてるのみました
あれって大阪歩いててたまたまとられたんですかね??


質問の意図が肯定的疑問なのか、否定的疑問なのか、もしくは純粋な好奇心かは分かりませんが、結論を先に言うと、たまたま街で声をかけられて撮られただけです。

最近、身の回りの若い子とそれらに関連する様な話をしていたので少し書きます。

まず俺は雑誌とかあまり見ない為「メンズノンノ」という本がどういう雑誌かあまり分かっていません。
そんな中、人によっては、「何であんな大衆誌に写ってんの?」と悪い意味で言う人もいれば、「あんな大衆紙に写って凄いな!!」と良い意味で言う人もいます。
例えば、「スマート」だったらいいけど「メンズエッグ」はノリが違うので嫌、その逆もしかりで「メンズエッグ」だったらいいけど「スマート」はノリが違うので嫌みたいな。
結局の所、その見解の違いは主観の幅の、狭さ、広さ、に依存するもので、その主観性の本質を辿ると主観の幅の狭さというのは、偏見や差別意識に繋がる物だと俺は思ってる。

世の中にはあらゆる価値観が存在していていろんな人がいる。

たまに街を歩いていて、「プロスケーターのチョッパーさんですよね、握手して下さい!!」みたいな事を言われる事があるけど、なんでこんなファッションしている人が俺の事しってんのかな?と思う位、スケーターやパンクとは何の関係も無く、ファッションにも何の興味も無さそうな人や、場合によってはヴィジュアル系の人、たまにはイケメンみたいな人や、はたまたヤンキー系みたいな人まで多種多様で、けどみんな礼儀正しかったりする。

この前の夜もたまたまクラブに行ってて、内容は若い子が企画しているオールジャンルのイベントで、その時も若い子が、ヤンキーのりのトランスがかかったら「格好悪いから踊らない」みたいな雰囲気があって、確かに価値観はそれぞれなので、純粋にそんなトランスミュージックが好きではないのなら踊らないのは自由やけど、俺の目から見ると、音楽性に対する純粋な好みでは無く、「ヤンキー系のトランスで踊るのは格好悪い」みたいな世間体や他人の目を気にしている先入観や固定観念にやられている印象を受けた。
まさに音楽の本質からかけ離れてしまっているのではないだろうか?と思った。
例えば詳しくは知らないが、「エミネム」という白人ラッパーの人は、「ヒップホップは黒人だけの物!!」だと言って「白人ラッパー」を受け入れない個人レベルの感情論を繰り広げる保守的な人に負けず、新たなるシーンを創ったらしいが、自分自身が日本人なのに洋楽を聴き、洋服を着ているくせに「ホワイト無理っしょ、やっぱヒップホップはブラックに限るっしょ!!」とか言っている、あほ無限インフィニティースペシャルな若者の喋っている事は、完全に理解不可能で宇宙語にしか聞こえない(勿論、純粋な価値観の上での好き好きは存在するし、黒人社会、白人社会の差異により生み出される音楽性にも差異は存在するだろうが、あくまでも差異でしかなく優劣ではない)。
そんなくだらない考え方は自分の成長の妨げにしかならず自分の幅を狭くしてしまうと俺は思う。
見た目がヤンキーファッションでも人間的にちゃんとしている人はいくらでもいるし、逆にちゃんとした格好をしていても人間的に問題点のある人もいくらでもいる。

何故こんな簡単な事も分からず、差別や偏見がなくならず、また世の中の真の発展がなされない理由の一つとしては、世の中のあらゆる情報自体に真の発展の為の効率性や合理性を基準にした本質的優劣は存在し(個人的推論ですが、一般的に難しいと誤解されている世の中を平和にする為の方法論なんてとっくに賢い学者か誰かが構築していると思います)、取捨選択能力の優劣により物事の結果も違ってくる中で、大半の人は取捨選択能力の優劣や情報の質、以前の部分で受け取り手が個人的感情論に負け、情報の質の優劣に関わらず、その情報の本質に気づかず、有効利用できていないからではないでしょうか?

早い話、「物理的事実にもとづいた主観的価値観」を尊重する事と、「非物理的な事にもとづいた感情レベルの主観」を尊重しようという偽善的な根本的発想の履き違えに世の中の大人が気づく努力を怠り、そのレベルの惰性教育を子供に施しているからだと思います。
みんなも将来子供を作るかもしれませんが、そんな無責任な大人にならないで欲しいなと思います。

そんな考え方から、「メンズノンノ」という本がどういう雑誌か知りませんが、来るもの拒まずの発想でたまたま声をかけられたので、否定も肯定も無く、何も考えず写真を撮られたという感じです。

みんながもっと本当の意味の自由とは何かという事に気づける世の中になればいいなと個人的に思います。

Date: 2006/04/27()


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