連日の投稿となります。 http://blog.commotion.tv/ar/gate/2011/03/mauna.htmlは、GATE代表でスケートボーダーでラッパーの真之介のBLOGです。 今回、その後半部分を読むと今のスケートシーンのディープな部分も絡めつつ、固有名詞こそ出ていないものの今回の災害に対してのチャリティTシャツ等へのエッジの利いた見解が述べられている。 俺個人的には凄く共感できる部分が多く、さらに真之介に対する敬意につながった。 が、そうすると一般的な視点で捉えると、チャリティTシャツというアクションを起こしている人に対しても共感し、また同時にそのチャリティTシャツというアクションに相反するかの様な意見にも共感するという、事なかれ主義的な偽善的見解と捉えられてしまうかもしれない。 が、そうではないので説明する。 まず俺が生きていく上での重要な考え方の一つに、「全ての物事は出来る範囲で事実認識が優先され、その次の段階で理性を伴う感情等の主観を含めた意見を述べてこそ相互理解を求めるに値する真の価値観である」というのがある。 きつい言い方をすれば、事実認識の成されていない理性の伴わない感情を根拠にした主観的な意見は“価値観”と呼ぶレベルのものですらない為に、相互理解しようとする為のエネルギーを使うに値しないものであるべきで、そうでないと真の平和は成しえないと考えるのは自然な事だ。 だが、勿論、理性の意味や価値を認識した上で、先天的に感情を抑えにくい自己を認知し、改善の為の努力をしている人が感情的な意見を出してしまったとしても、それは前述とは性質が異なるので、勿論、相互理解を目指す事は心がけているので勘違いしないで欲しい。 それら考えの下、「“個性差における能力差”は“妬むものでも見下す物”でもなく、単なる相対的な事実でしかない」と言う事を認識できるかが重要だと捉えている。 早い話、調和を目指す事を前提とするなら、「自身より劣っていて足りない人には与えればいいし、逆に優れていて足りている人には与えてもらえばいい。」というシンプルな考えだ。 そこに理性を伴わない感情が介入してしまうと調和が乱れる根源となる。 ここで述べているのは“人間味がない”事と“理性の伴わない感情”とは異なる事を理解してもらいたい。 そういった考えを前提に事実認識を優先順位においている為、前々回の投稿にある様に、俺自身がTシャツと言う形に落とし込む事に迅速性を感じていなかったり、寄付する先の違いの重要性を述べたり、タカシの持って来てくれた募金箱も保留にしているのだ。 この辺りはまさに真之介のBLOGで、彼が訴えかけている事と本質的にかなり近いのではないだろうか。 そう捉えた場合に、“最終目的”がより多い義捐金であるのであれば、最初の段階で俺も真之介と同じく、Tシャツといった形に落とし込む事により、対効果性は下がり主旨から外れてしまうと理解していたに関わらず、なぜチャリティTシャツやチャリティデッキを紹介したのかを述べる。 先ほど述べた能力差と同じく、人には目的の多様性やその結果の優劣がある事は否定される要素はない。 その中で、“より多い義捐金という結果”を目的とするのは自由だが、似て異なる目的やもしくは全く異なるアプローチや目的を持っている人達がいてもおかしくないし、仮に目的が同じでも能力差による結果としての優劣は責められるべきではない。 行動の結果、その能力が劣っていた為に結果がマイナスを創出するような行動をしてしまっている人がいたとしても、責めるのではなく、対効果性の高い方法を創造できる能力の高い人から低い人へ方法を与えればよいにすぎない。 これは目的が同じ人同士の場合だが、目的が違う場合はどうだろう。 仮に、「いくらがんばった所で自身に集める事の出来る義捐金はたかが知れている」と自己判断の基、「それなら!!」と目的を義捐金でも具体的な結果としての被災地への支援でもなく、この機会を使って皆の団結心、結束心を高める事を目的としチャリティTシャツを企画する人がいても、それは否定されるべきではないのではないだろうか。 思いやり、寄付、といった物事は、強制されるべきものでない事を前提にするなら、中には「現金での寄付は、お金のない自身には現実的では無い!!」と考えていた人がいたとして、その人が「でもTシャツと言う形で自分の手元に物が残り、且つ被災に対して協力も出来るのであれば、是非、Tシャツを買おう!!」とTシャツを購入したとしたら、少なくとも“0<チャリティTシャツの企画”は間違いではなかったのではないだろうか。 なので、寄付金先の団体の違いについても、中間コストを差し引きしている団体の事を責めたつもりはなく、あくまでもさらに有用的であろう情報提供を目指したにすぎない。 言うまでもなく、中間コストを差し引きされない団体を見つけきれないからと言って、“寄付しない”よりも、中間コストを差し引かれてでも“少しでも寄付した方が良い”のは語るまでもない。 例を出しだすと人の価値観の数だけあるので、これ以上述べないが、そういう意味で俺の出来る行動として、もし今後チャリティTシャツを俺が企画するとしても、俺は俺の価値判断で行動するので、一部の人の様に自身が過剰なリスクを背負い赤字になってまで全額寄付しないだろうし、他の人と同じだけの売り上げに対する比率で寄付をしないかもしれないが、後ろ指を差される理由は無いし、仮に指されたとしても俺は何とも思わない。
このような考えの下、相反する意見にみえても、俺にとってはどちらの方法も考えも行動も正しいとなる。 決して事なかれ主義の偽善でなく、論的根拠にもとづいた俺の明確な見解だ。
なので、何か行動したいが自信が無かった人は、この考え方を基に思慮深い事を前提に自信を持って行動し、またそこに不備を見つける事が出来る能力のある人は決して責めるのではなく、より正しい方法を伝達協力し合う事が大事だと思います。
とにかく、真之介、森田、その他、ここに書ききれないほどの自分なりのアクションを起こしている沢山の人に改めてリスペクトを表明するとともに、価値観の違いを乗り越え皆が少しでも相互理解に歩み寄れたら、さらにより良い被災地への支援に繋がるのではないでしょうか。
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Date: 2011/03/17(木)
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