vhs magazine & おいどんノート展  2011/04/29(金)
相互理解  2011/03/17(木)
先手  2011/03/16(水)
「何もしない勇気」  2011/03/16(水)
next step  2011/01/22(土)
2010 ラストアップデート  2010/12/24(金)
プライスレス 本当の価値  2010/12/05(日)
いろいろ  2010/11/29(月)


vhs magazine & おいどんノート展

今まで当WHATEVERのBLOGでは、WHATEVERの価値観や精神性などの事にまつわる内容の濃さを意識したボリュームのあるBLOGを目指していました。
逆に言うと、自身の一般的な日常などをお伝えする様な事は無意味で生産性が無く、時間の浪費だと考えあまりお伝えしてきませんでした。
また、近い理由でツイッターやミクシー等のSNSにも嫌悪感があり、大半は有用性、生産性の乏しい情報の垂れ流しで、目的意識無く生きている人の心の隙間を埋める偽善的なコミュニケーションの場になってしまっている場合が多いとさえ感じていました。
なので、このBLOGでの更新頻度の高さは必然的に重要ではなく、年に数回の更新といった感じでした。
そんな中、他人との相対比較には意味が無く、真の進歩とは自分越えでしかない事を前提に生きてきましたが、ここ最近はさらに多種多様な価値観、多様性を理解、受容し幅を広げる事も生産性のある真の自分との戦いであり、それに打ち勝ててこそ更なる真の自分越えにつながるという事を理解するに至っていました。
簡単に言いなおすと、「自分の苦手、嫌いと感じる物事ほど、自分の方から歩み寄る」事が自身の成長につながるという事です。
そんな折、VHS MAGAZINE(http://www.vhsmag.com/)というスケートボードに関する総合的な情報を発信する国内のサイトにて、20人ほどいるブロガーの内の一人としてBLOG(http://www.vhsmag.com/blog/chopper/)を担当させてもらう事になりました。
なので、今後はそのVHSのBLOGという場を借り、今まで苦手であった垂れ流し的な日常やSKATEに関する事を極力更新頻度を高めにお伝えしていこうと考えています。
そしてWHATEVEのBLOGでは今までどおりの内容の濃い物を目指し、おのおの役割の違ったBLOGにしていければと考えています。
さらに、その考えの下、最近ツイッター(http://twitter.com)にも登録してみました。
@chopperosakajpn ←ツイッターのアカウント

今はまだあまり使い方が分かっていませんが、もし今後ある程度使いこなしている様であれば、それは少し自分越えに成功したのだなと思って貰えれば幸いです(笑)!!
 
(というか、そもそもこのBLOGという概念自体にも嫌悪感があり、その自分自身を超える為の理由も含め本来このBLOGはスタートしています。)

次に、個人的にかなり嬉しいお知らせ&皆にも興味深く知って貰えたらと思う事がありました。
WHATEVERを支持してくれている人の中には、服、スケートボードに限らず、音楽、映像、絵画、その他、色々な創作活動に興味のある人が多いかと思います。
その中でも、今回、特に絵画、イラスト、デザインなどに興味がある人は知ってて覚えてくれているかもしれませんが、過去に「CHAOS」内の「Q&A」への投稿で、「“おいどん”の絵について(http://www.whev.com/cgi/qanda/su2_diary.cgi#9)」というタイトルの記事があったのを覚えているでしょうか?
まずは、その内容を読んでから後へと読み進めてもらえればと思いますが、その“おいどん”がイラストノート(http://illust-note.jp/)というイラストレーター向けの専門誌が主催するノート展という大会で見事、初エントリー、一発優勝しました!!
どんな大会なのか詳しい事は知りませんが、参加資格はプロ、アマ問わずでエントリー総数は多分数百人との事。
審査員も知る人ぞ知るといった面々のようで、サブカルチャー系でイラストに興味がある人なら耳にした事のある人達ではないでしょうか。
また、エントリーした中には年配のプロの人もいるようなので、恐らく、安っぽいコンテストでは無いと思います。
勿論、優勝した事自体も嬉しいのですが、“優勝”というレッテルのおかげで「Q&A」での俺の批評にもある程度の説得力がでたのではとも思います。
その記事内にもあるように、否定的とはいえ最初に意見を投稿してくれた事からの顛末も結果として、もしかしたら今回の受賞に繋がっている部分もあるかもしれません。
もし、そうだとしたら、それはその意見が否定意見であっても決してネガティブなものではなく純粋であったからかもしれません。
そこも面白い所だと思います。


いずれにせよ、WHEVクルーより未来の巨匠が生まれるかもしれないと思うと、とにかく、おいどん画伯に売れる媚は今のうちに売っておいた方が良さそうだ(笑)。

とにかく、以前の絵の雰囲気とがらりと変わった絵もあるので、是非一度彼のBLOG(http://pecopoco.exblog.jp/)をチェック!!


Date: 2011/04/29(金)


相互理解
連日の投稿となります。
http://blog.commotion.tv/ar/gate/2011/03/mauna.htmlは、GATE代表でスケートボーダーでラッパーの真之介のBLOGです。
今回、その後半部分を読むと今のスケートシーンのディープな部分も絡めつつ、固有名詞こそ出ていないものの今回の災害に対してのチャリティTシャツ等へのエッジの利いた見解が述べられている。
俺個人的には凄く共感できる部分が多く、さらに真之介に対する敬意につながった。
が、そうすると一般的な視点で捉えると、チャリティTシャツというアクションを起こしている人に対しても共感し、また同時にそのチャリティTシャツというアクションに相反するかの様な意見にも共感するという、事なかれ主義的な偽善的見解と捉えられてしまうかもしれない。
が、そうではないので説明する。
まず俺が生きていく上での重要な考え方の一つに、「全ての物事は出来る範囲で事実認識が優先され、その次の段階で理性を伴う感情等の主観を含めた意見を述べてこそ相互理解を求めるに値する真の価値観である」というのがある。
きつい言い方をすれば、事実認識の成されていない理性の伴わない感情を根拠にした主観的な意見は“価値観”と呼ぶレベルのものですらない為に、相互理解しようとする為のエネルギーを使うに値しないものであるべきで、そうでないと真の平和は成しえないと考えるのは自然な事だ。
だが、勿論、理性の意味や価値を認識した上で、先天的に感情を抑えにくい自己を認知し、改善の為の努力をしている人が感情的な意見を出してしまったとしても、それは前述とは性質が異なるので、勿論、相互理解を目指す事は心がけているので勘違いしないで欲しい。
それら考えの下、「“個性差における能力差”は“妬むものでも見下す物”でもなく、単なる相対的な事実でしかない」と言う事を認識できるかが重要だと捉えている。
早い話、調和を目指す事を前提とするなら、「自身より劣っていて足りない人には与えればいいし、逆に優れていて足りている人には与えてもらえばいい。」というシンプルな考えだ。
そこに理性を伴わない感情が介入してしまうと調和が乱れる根源となる。
ここで述べているのは“人間味がない”事と“理性の伴わない感情”とは異なる事を理解してもらいたい。
そういった考えを前提に事実認識を優先順位においている為、前々回の投稿にある様に、俺自身がTシャツと言う形に落とし込む事に迅速性を感じていなかったり、寄付する先の違いの重要性を述べたり、タカシの持って来てくれた募金箱も保留にしているのだ。
この辺りはまさに真之介のBLOGで、彼が訴えかけている事と本質的にかなり近いのではないだろうか。
そう捉えた場合に、“最終目的”がより多い義捐金であるのであれば、最初の段階で俺も真之介と同じく、Tシャツといった形に落とし込む事により、対効果性は下がり主旨から外れてしまうと理解していたに関わらず、なぜチャリティTシャツやチャリティデッキを紹介したのかを述べる。
先ほど述べた能力差と同じく、人には目的の多様性やその結果の優劣がある事は否定される要素はない。
その中で、“より多い義捐金という結果”を目的とするのは自由だが、似て異なる目的やもしくは全く異なるアプローチや目的を持っている人達がいてもおかしくないし、仮に目的が同じでも能力差による結果としての優劣は責められるべきではない。
行動の結果、その能力が劣っていた為に結果がマイナスを創出するような行動をしてしまっている人がいたとしても、責めるのではなく、対効果性の高い方法を創造できる能力の高い人から低い人へ方法を与えればよいにすぎない。
これは目的が同じ人同士の場合だが、目的が違う場合はどうだろう。
仮に、「いくらがんばった所で自身に集める事の出来る義捐金はたかが知れている」と自己判断の基、「それなら!!」と目的を義捐金でも具体的な結果としての被災地への支援でもなく、この機会を使って皆の団結心、結束心を高める事を目的としチャリティTシャツを企画する人がいても、それは否定されるべきではないのではないだろうか。
思いやり、寄付、といった物事は、強制されるべきものでない事を前提にするなら、中には「現金での寄付は、お金のない自身には現実的では無い!!」と考えていた人がいたとして、その人が「でもTシャツと言う形で自分の手元に物が残り、且つ被災に対して協力も出来るのであれば、是非、Tシャツを買おう!!」とTシャツを購入したとしたら、少なくとも“0<チャリティTシャツの企画”は間違いではなかったのではないだろうか。
なので、寄付金先の団体の違いについても、中間コストを差し引きしている団体の事を責めたつもりはなく、あくまでもさらに有用的であろう情報提供を目指したにすぎない。
言うまでもなく、中間コストを差し引きされない団体を見つけきれないからと言って、“寄付しない”よりも、中間コストを差し引かれてでも“少しでも寄付した方が良い”のは語るまでもない。
例を出しだすと人の価値観の数だけあるので、これ以上述べないが、そういう意味で俺の出来る行動として、もし今後チャリティTシャツを俺が企画するとしても、俺は俺の価値判断で行動するので、一部の人の様に自身が過剰なリスクを背負い赤字になってまで全額寄付しないだろうし、他の人と同じだけの売り上げに対する比率で寄付をしないかもしれないが、後ろ指を差される理由は無いし、仮に指されたとしても俺は何とも思わない。

このような考えの下、相反する意見にみえても、俺にとってはどちらの方法も考えも行動も正しいとなる。
決して事なかれ主義の偽善でなく、論的根拠にもとづいた俺の明確な見解だ。

なので、何か行動したいが自信が無かった人は、この考え方を基に思慮深い事を前提に自信を持って行動し、またそこに不備を見つける事が出来る能力のある人は決して責めるのではなく、より正しい方法を伝達協力し合う事が大事だと思います。

とにかく、真之介、森田、その他、ここに書ききれないほどの自分なりのアクションを起こしている沢山の人に改めてリスペクトを表明するとともに、価値観の違いを乗り越え皆が少しでも相互理解に歩み寄れたら、さらにより良い被災地への支援に繋がるのではないでしょうか。
Date: 2011/03/17(木)


先手
昨日のアップを読んだ東京在住の友人から早速、以下のメールを貰いました。



「お疲れさまです。

今回の地震に関するブログと通ずるところがあると思い、連絡しました。

http://chodo.posterous.com/45938410

友人からツイッター上で教えてもらったので

多少広まってるようですが、よかったら読んでみて下さい。

ただ上の記事を書いている人のこと等は全く調べてないので、その辺はご了承を。



ご存知の通り東京は全然大丈夫ですが、スーパーから食料品など物が

ほとんどなくなっています。皆買い溜めです。

東京はまだ実際被害を受けていないのに皆必死になって過剰に買い溜め等していて、

報道に踊らされているような感じ、そんな現状に日々思うことは多々あります…。

昨日は放射線が東京まで飛んでくるという情報から、あっという間に皆マスクをしてま

した。



俺もとりあえず出来ることがないので、節電以外は、通常の日常を過ごしています。

募金は中間マージンなど個々に差があると考えましたが、

やらないよりはましだと思いました。。」




リンク先の内容も読んで貰えればと思いますが、この様なメールも貰い、自身の身の回りの色々な状況も含め次に出来る事を考えました。

昨日、述べた様に、情報を精査した上で判断すると言う事は勿論なのですが、次に考えられる事としていつも述べている“想像力”を働かせ何か情報拡散出来ないかと考えました。

要は情報が入ってきてからの対処、対応のみを前提にした受身の状態では、後手に回ってしまいかねないので出来る範囲で先手を打つと言う事です。

と言うのも、すでに一部の用心深い人達は念の為という事で、公の情報を基にした根拠は無くとも、個人の判断で遠方へ向かったり、海外へ非難している人達もいるようです。

現時点、いつ原発の状況が一気に現状より悪くなってしまうかの可能性は決して否定しきれない中、もしそうなった場合、人口の多い関東では今まで当たり前のように得る事が出来ていたネットやテレビからの情報すら得にくくなる可能性や、また得る事が出来たとしてもネットやテレビの情報自体が錯綜してしまう可能性も想定すると、その場合、混乱状態に陥りパニックになる可能性もあり得ます。

歴史の事実から学べば、過去にも根拠の無い情報に基づくパニックが被害を増大させた事があるのは周知の事実です。

地震や放射能の直接被害ではなく、人々のパニックによる二次被害の可能性もありえるのではないでしょうか。

なので、今出来る事としては、ネット等での情報収集が容易な今のうちに有用的な情報を少しでも携帯端末等にダウンロードしておき保存しておいたり、もしくはアナログ的な情報収集しか出来なくなった場合にも信頼性の高い情報を得る為の方法を事前に調べておき、状況が想定外に大きく変化した場合にも的確、明確な正しい情報収集と正しい行動が取れる為の準備をしておく事も必要かもしれません。

もし、仮に深夜の就寝中に家の外が騒がしく皆がパニックに陥っていて、ネットも電話も繋がらない状況になったとして、周りに振り回されずに正しい行動が出来る為の備えは大丈夫でしょうか?

それを事前に意識して行動するだけでも有事の際の被害は少なくなるはずです。

また、この様な当たり前に見える行動ですら事後にならないとリアリティを感じれない人に対して、この様な想像力も含めた情報の拡散を実行動する事も大事なのではないでしょうか。
Date: 2011/03/16(水)


「何もしない勇気」
今回の地震がもたらした被害に対して、すでに様々な場所で多種多様の方法でたくさんの人々がそれぞれのアクションを起こしているようです。
FESNでは、http://fareastskatenetwork.com/new/の様なチャリティTシャツを企画したり、REAL SKATEBOARDSでは、http://www.actionsrealized.com/の様なチャリティデッキを企画したりもしているようです。

皆、かなり迅速な動きを見せていて、俺の周りの身近な所でもそれぞれ自分なりに何か出来る事はないかと動いている人もいる。
WHATEVER-SHOPにも以前このコーナーで紹介した日本をスケートボードで縦断したタカシがやって来て、ペットボトルで簡易に作ったハンドメイドの募金箱を置いてくれないかと持ってきてくれたりもした。
皆、とにかく自分の出来る範囲で何か出来る事はないかと必死に動いている。
その気持ちは俺も勿論同じなのだが、俺に出来る情報拡散というアクションの一つでもあるこのBLOGのアップも地震から数日経ち他の人と比べるとスピード感が無い様に思った人もいるだろうと思う。
だがそれは、理屈ばかりが先に来て行動が後手になってしまった分けではない。
いつものWHATEVERのコンセプトを前提に言うなら、結果や成果だけでなくプロセスや精神性などの感情も含めた“想い”も重要視する事が多い。
なのに今回は状況がそうはいかない。
いくら気持ちや感情が強く突き動かされたからと言って、理性を失った行動をとっていては場合によっては人命に関わったり、取り返しが付かない事に繋がる可能性もある。
あえて厳しく言うなら、支援をしたい側の気持ちや感情を基準に動いていては単なるエゴになってしまい偽善で終ってしまいかねない。
繰り返し言うが、通常時なら偽善であろうがなんであろうが、自分の心に正直にアクションを起こす事は否定されるべきではないのかも知れないが今回は状況が違う。
支援を受ける側が真に何を求めていて、真にどの様な行動が求められているかを理性的に把握した上で動かなくてはいけない。
まして俺は大阪にいるので、現場まで足を運び自分の手で直接ガレキを掘り起こしたりといった直接行動に移せるわけではない事は明白だ。
もしくは感情だけでその様な行動をとり現地に出向いてしまい、かえって現地の交通を麻痺させ緊急車両の移動の妨げになる可能性も十分にある。
それは決して大げさでなく、本当に人の生き死に直結する可能性も推測できる。
それら諸々の事を考えた上で俺にとってやはり重要なのは、理性的に判断した上で、真にソースの明確な情報なのか、もしくはマイナスを創出してしまいかねないソースの不明瞭な情報なのか、をしっかり精査、推敲した上での情報のインプットとその後、俺のフィルタを通したアウトプットだと考えた。
となると、その最初の段階で俺が理解した俺の出来る事の中に“スピード感”といった迅速さが求められる行動は含まっていない事を理解した。
そうすると、俺の出来るべき事は理性的な判断にもとずいた、俺個人の感情は取り除いた支援される側の人に直接有用的に関わるであろう情報拡散だと思う。
その考えの下、実はタカシからの募金箱の申し入れも一旦断り保留状態になっている。
というのも、いずれお金が最も必要になる事は明白だが、義捐金に関わる行動に対してのこの数日のタイムラグは恐らく大きな問題となるわけではないだろう。
それよりも、身の回りで義捐金を漠然と捉えてしまっている人に、その義捐金を預ける先がどこになるかによって、その中間管理コストが差し引きされてしまう場合と中間コストが差し引かれずに全額寄付が出来る場合に大きく変わったりする事を伝え知って貰う事により、先ほどから述べている支援される側の人達に届く一番必要であるお金の額面が変わる事を伝える事は有用的な動きに直結するはずだ。
そんな考えの下、俺はまだまだ無知な為、寄付と言う形だけでなく、経済活動の活発化を目指し納税という形を通し、国家予算と言う形で上手に割り振ってもらった方が無駄なく安心して任せる事が出来るのか、もしくはFESN等の様にTシャツ等の売り上げという形をとって寄付する等した方が効率が良いのか、またいずれにしても現実的に自身の生活状況に照らし合わせ現実的に可能なアクションなのか、などの判断も現在の所、把握できてい無い為に目に見えた行動にはうつせていませんが、先に述べたとおり行動が後手に回っているわけでない事を理解してもらえれば幸いです。
ですが、もし近い未来にTシャツと言う形にする事等になった時には協力お願いします。


それも一例として、ネットで情報収集していて他にも同じような考えを持っている人がいたので、無断ですが一部抜粋させてもらいます。


〜「でも・・悪意はなくても間違った情報も非常に多い

たとえば・・
『地震が起こったら、必ず窓を開けてください。そして、家にいる人は、今、お風呂に水をためてください。まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。 』

※地震が起きたら窓に近づかない。
窓ガラスが割れて怪我をするおそれがあります。 開けるなら『ドア』です。避難場所を確保してください。

※お風呂に水を溜めることはしないでください。
水は貴重。 全家庭が水を大量に使用すると火災現場や炊き出し等に使う水が不足します。

※一番危険なのは米を炊くことです。 もし、ガス漏れがあった場合、引火し爆発するおそれがあります。

少しでも何かの役にと 拡散 ってネットで流しますが
その情報は本当に正しいと言えますか?

今、僕達には 何もしない勇気もまた必要なんじゃないですか?〜

(修正部分のソースも保障できる限りでは無いので安易な情報拡散に繋がらない様に気をつけて下さい)


まさに、ここに書かれている「何もしない勇気」も重要なのではないだろうか。
実際、俺は地震が起きてから今まで誰に言われるでもなく自身の判断で電話やネットの帯域を圧迫しない為にこちらからは現地の友人に一度も安否確認の連絡は取っていない。
感情的に安否を確認したい気持ちは平等のはずだが、その為に人命に繋がる緊急の連絡が出来難くなってしまってはまさに本末転倒だ。
また今回のFESNのTシャツの件を知り、その事で森田に急ぎの用事があり東京まで手短なら問題ないだろうと電話をかけたのだが、その時、森田は電話に出なかった。
が、その後、メールで連絡があり、やはり森田も電話を極力使わない様にしていたらしい。
本来ならいつもの文章の様にこの他にも具体例をたくさん述べ理解を深めて貰いたいのだが、これに関しては少しでもこのBLOGによって情報拡散のスピード感が上がり、悪意が無くともソースが明確でない情報をBLOGやツイッター等で上げてしまっていないかを友人等と相互確認しあい、もしそうなっているなら少しでもすぐにそれらの情報を削除、もしくはソースを確認、訂正しなおし、「何もしない勇気」も踏まえ、真に出来るべき事は何なのかを再度しっかり考え直ししっかりと行動して貰えればと思います。

俺個人としては、勿論、この様な文章だけでなく、「何もしない勇気」も踏まえそれでも「個人的に何か出来る事」を調べようとしましたが、やはり情報が錯綜していて何が本当に正しいかいまいち分からなかったというのが正直な所です。
この様な時はトップダウンで内閣府のサイト等からの情報が確実かとも思ったのですが、ざっと見た感じで俺には「個人レベルで出来る事」に関する有用的な情報を見つける事が出来ませんでした。(単なる俺の見落としの可能性もありますが)
なので、民間のサイトでも良いので、ソースがおよそ明確なもので成り立っているであろう事を前提に、今、俺らに何か出来る事がまとめられているサイト等ご存知の方は、URL情報など教えて頂ければと思います。
宜しくお願いします。


後、個人的で申し訳ないですが、仙台のユウヤと岩手のイワちゃんは大丈夫との事らしいので、知人、友人は帯域に無駄な負担をかけない事を意識した上で伝え合って貰えればと思います。

(とにかく今回の文章は急ぎのアップを考えて精査、推敲出来ていません。意味が通じにくい様な誤字、脱字等あれば報告協力お願いします。またもしこの文章の中で有用的に活かせる部分があるなら、連絡は不必要ですので勝手に転用して下さい。)

whev.com 中村“チョッパー”泰一郎




Date: 2011/03/16(水)


next step

whev.comのトップが少し変わり数ヶ月経ちますが、まだ気がついていなかった人は一度チェックしてみて下さい。

そこのWHEV-NEWSの第一回に書いている様に、WHATEVERの一次的な役割は果たしたのではないかと考えています(WHATEVERが終焉に向かっているという意味ではなく、次の段階に向かいつつあるというポジティブな意味です)。
というのもそれは、WHEV-NEWSにも書いているように元WHATEVERスタッフのそれぞれの方向性だけではなく、中学生・高校生くらいの頃からカオスチャンネルを読んでくれていた全国の人達も今は一般的に大人と言われる年齢になり、以前からの信念がより確固たるものになり社会に流される事無く真の自分らしい生活をおくっていたり、または柔軟性を見出しサラリーマンなどをしつつも社会に流されるのではなく妥協無くそれぞれの路を見つけ歩みだしている人達が増えてきた事を知っているからです。
また中には住む場所も違う遠い土地の一読者でしかなかった中学生だった人が、今は自分なりのアクションを起こしそれについてメール交換していたり、もしくは大阪に引っ越してきて毎日の様に一緒にスケートするようになったりするようにもなりました。
それらの経験からも、もしくは一度も俺と直接会った事もなく、連絡を交わしたことが無くとも、近いアティテュードを共有し続けアクションを起こしている人が全国津々浦々に自分らしく存在している事を想像するに難しくありません。

なので、今後も俺のやるべき事の本質は何も変わりませんが、WHATEVERとしての表層的な表現方法に変化はあるかもしれません。
例えば、今までだと客観性ばかりを重要視していた為に創りにくかった物事も、これからは論理的根拠が無くとも直感的且つ主観的でアブストラクトな要素を加える事により、今まで以上にビジュアルを押し出したデザインに挑戦したりする事も出来る様になるかもしれません。
それは恐らく良い意味で俺個人のプライベートブランドのようになっていくのではないでしょうか。

その前に、そもそも俺の根本にあったWHATEVER立ち上げ当初の俺の思うWHATEVERの役割、意味、意義などを再整理しつつ少し述べます。
それは当時から俺が“感じ”(“考え”ではない)ていた事ですが、当時は単に言語能力、文章能力の無さから、その様な発言をしていなかった部分もあるかもしれません。
そこを想像できない人からみれば今になって取って付けたと感じられるかもしれませんが、とにかく話を進めます。

・想像力について

まず最低限度の想像力をもとに考えると難しくないのですが、自分自身の向上心が留まらない事を確信している人にとっては何事においても“可能性”は無限大です。
わかり易くする為に一度想像して貰えば良いですが、例えば、“30年後の自分から見た今の自分”を想像した時に単純に想像できる事は、より膨大な情報量、より膨大な人生経験、より柔軟性のある判断・対応能力、に今の自分と大きな差がある事は否定できないかと思われます。
仮にその30年後の自分自身と今の自分自身が何らかの物事について討論したとしても、今の自分の中の狭い常識やそれに基づいた意見で論破できるわけが無い事は簡単に想像がつきます。
他人との討論なら意見が合わず反論する事ができるかも知れませんが、相手が自分自身であるなら、その経験に基づく意見は否定出来ようがありませんし(勿論、前提条件として向上心を失って妥協して生きている状況の未来の自分自身などの場合は論外です)、討論した所で容易に論破されてしまう事も理解するに難しくありません。
となると、必然的に今の自分が考える“絶対”が“絶対ではない”可能性がある事を理解でき、その“絶対”は意味をなさない事になります。
俺自身の人生でそういう事が何度もありました。
具体例を挙げると、
小学生の頃には、「洋楽を聞いてる人は歌詞の意味が分からないはずなのに、“絶対”単なる格好付けや!!」。
中学生の頃には、「所詮、外見にすぎないファッションに興味を持つ奴は“絶対”中身の無い奴や!!」。
高校生の頃には、「刺青なんて一生物やのに、刹那な感情で悪ぶりたい“絶対”に馬鹿がやる事や!!」。
その後にも、「万一、将来自分が刺青を入れるとしても中途半端なワンポイントなんか嫌や、入れるんやったら“絶対”背中一面の大きいのにするわ!!」と。
ですが、今の現実とはまさに正反対で、洋楽やファッションにも興味を持ち、ワンポイントの刺青をまばらに入れているのが俺の実情です。
その程度の成長なら理解も出来るかもしれませんが、WHATEVERの価値観をおよそ支持してくれている皆にとってさらに興味深いであろう話もあります。
深く語った事こそありませんが、小学生の頃は「宗教や神様なんて信じてるのは、非科学的、非論理的で“絶対”に客観性の欠けた馬鹿や!!、小学生の俺でもそんな事分かるのに、大人のくせにそんな事もわからんのってどれほど馬鹿やねん!!」と考えていました。
大人になってもその考え方は“絶対”に変わるはずも無い普遍の本質だと考え、最近まで生きてきました。
けど、そんな中、唯一、宗教、神、といった事にまつわり腑に落ちず、理解できない事もありました。
何かというと、高学歴で科学や物理に長けた人がカルト宗教にのめり込んだりする事がまれにあるという事です。
勿論、想像力も使わずに安易な根拠を推論し「勉強は出来ても心は弱かったのだろう、勉強が出来る事と心の強い弱いは別物!!」と言い切る事は容易ですが、それではまさに「芸能人・有名人だからって安易に選挙に出馬しやがって、そんな世の中なめてる奴には絶対に投票しない!!」と、マニフェストにも目も通していないくせに、自分なりのアクションを起している人を安易に妄想力で否定するのと同じです。
勿論、しっかりマニフェストにも目を通した上で状況を理解、把握した上でも「こんな奴に投票する奴が何万人もいる世の中やっぱり狂ってるぜ、このイカレポンチが!!」と反吐を吐くなら、それは大いに自由だと思います。
ま、この辺りの事はWHATEVERを支持してくれている人にこれ以上語らずとも分かって貰えると思いますので話を戻します。
勿論、安易な推論どおりの単に心の弱い人も中にはいるでしょうが、想像力も使いつつ統計的に考えて人としての資質が同じだとした上で、そこに+αとして学があるのであれば、中には精神が強く勉強も出来る上に且つ想像力に長けているが為に全ての可能性を否定しない、といった人間も世には存在するのではないだろうか?
というか、それこそ統計的且つ論理的に考えるならその様なタイプの人間が存在しない事の方がつじつまが合わないはずだ、という事です。
そう考えると、それらの人達は自分の狭い世界観では想像も及ばない理由や根拠をもとに宗教や神といった問題に取り組んでいるのではないだろうか?
それらの考え方を前提に、最近になり、その根拠や理由の一部をようやく推測できる立場になってきました。
単純且つ具体的に説明すると、まず人類が長いように思える歴史の中で発見・構築してきた科学、物理などで解かっているであろう全宇宙全て(便宜的な形容で“在る(無等も含めた意味としての)物全て”といったニュアンス?)の事はまだ“全宇宙の物事分の人類の知っている範囲の事”でしかありません。
これは、数字(?)に置き換えると、“無限分の一”程度の感じではないでしょうか。
逆に言うと、「人類が解き明かしたい全宇宙の全ての事柄の殆どは何も理解していない」という事になります。
それは言い方を変えると「絶対」という断定で物を言うという行為は想像力を失なってしまった状態の事を指しているとも言えるのではないでしょうか?
そういう考えに基づきだすと必然的に「創造主(一般的にいう“神”という意味や感じでもなく便宜的な形容詞で、最も自分の言葉に近い感じで言うと“意図された創造の根源?”)」の存在すら否定できないという立場に至りました。
誤解されると困りますが、これは一般的な宗教で言う神の認識を肯定しているのではありませんし、普通に考えて、妄想力無限大MAXのありとあらゆる常識的にあり得なさそう事も全て精査、推敲し、振るいにかけていたのでは実生活が出来ない事も理解した上での見解です。
これ以上は言語能力の無さから表現しきれないので申し訳ないですが、単純な例では、仮に宇宙の広さと同じレベルで天文学的に考え偶然の重なりで有機的な生命が偶然発生する事はありえたにしても、人類程のレベルの生命体が偶然の重なりだけで本当に生まれようがあるのでしょうか?
シンプルに考えて設計図も何も無ければもっとアメーバの様な容姿をしているはずではないでしょうか?
例えば、そのD.N.A.とよばれる設計図が意図もされていない偶然の産物と考えるには、極力中立を目指し先入観や常識を取り払った上で直感と論理のバランスを意識すればするほど無理があるようにも思えなくもありません。
何かのアニメの影響か変なドラッグの影響かの意見に思われるかもしれませんが俺は至ってシラフですしアニメや映画の影響でもありません。
真実を追究しようとするからこそ、自身の事実認識と相容れない物事を否定する事から生まれる真の事実認識と、きちんと事実認識が出来ている事を前提とした上での違った状況、環境、立場からの意見を肯定する事を理解し、その一見相容れない立場の視点から想像力も含め中立(場合により“事実”)を知る事により、先入観、観念、常識、に誤魔化されずに真に物事を見る事を意識して生きているプロセスの中から生まれてきた至ってシンプルな一見解でしかありません。
(そういう意味ではPUNKの根拠となるアンチテーゼというのは決してネガティブな要素ではなく、本当の物事に至る為の重要なプロセスであるとも捉える事が出来るのではないでしょうか)
そういう意味からも現在では、例えば“神”や“宗教”ですら「肯定こそせずとも一概に安易に否定も出来ない」と言うのが、現時点の自分自身の真の立場だと理解できるようになりました。(あえて“自分自身の”としましたが、本質的には“万人”の立場がそういった真の中立での視点を持つ事により、真の調和がとれた世界を目指せるのではないでしょうか?)

ここで表した想像力という事も含め最初のWHATEVERの目的に戻ります。
そういう想像力を持った論点で考えた時に、若い頃に思っていたのは「こんなに多くの人間がいる中で、自身と同じ様な信念を持ち、社会の不条理に対して流される事無く生き続け、自分よりさらに先を生きている先人は“絶対”(笑)に身近にも少なからず存在しているはずだ、なのにそういう人達からの情報が何故か自分の所には届いて来ない」という事です。
もしかするとその理由はシンプルに若者に対しての責任を放棄し妥協し生きていく事が大人として当たり前なのかもしれません。
もしくは単にインターネット等も無かった事により単にその情報が拡散しなかっただけかもしれません。
それとも「経験に勝る物はなし!!」という事が若者に対しての最終的な答えとなり、「賢者は語らず」が如く妥協ではなく意図的に無理に情報拡散しない状況に自然となっていくのかもしれず、俺が未だにそこに気がつけていないだけなのかもしれません。
もしそれが真なのであれば俺も語る事をやめる時が来るかもしれない事を先に言っておきますが、それは決して妥協では無いはずです。
いずれにしてもだからこそ、俺は俺の存在意義としてWHATEVERを通して俺の知る中で先人がだれも行ってこなかったと思われる若者に対する俺の出来る範囲での優位性の高いであろう情報提供というアクションを自身で起こしてきたのです。
アンチテーゼを表明する事やPUNKである事が目的ではなく、それらはあくまでもプロセスでPUNKを通して事実・真実を見極め、その情報を若者に伝える事により、より効率的に良い社会を目指す事が自身の中のPUNKであると言う事なのです。

そういう意味では“考戦”(http://whev.com/whatever/main/itemandshop/kousen.html)等の説明文の真意を理解して貰っている事を前提に極論で一例を出すと、真に人類が進化、調和する為のプロセスとして平和の為に積極的に戦争に参加しようとするのが真のPUNKの在り方として捉えられる時代が来るかもしれないし、サラリーマンの様に社会参加した上でのPUNKでないと真のPUNKとして認められずに「学の無い様な奴はPUNKを語るな、真のPUNKを語りたいならそれなりの大学でそれなりの勉強をして社会に出て他者の価値観との相互理解も経験してから語れ、そんな努力も出来ないお前らは口だけの単なる社会不適者だ!!」といったセクトがPUNKとしての派閥の一部を牛耳っているかもしれません。
想像力を駆使する事を怠り、今ある常識にドップリの人にはギャグに聞こえるかもしれませんが、俺にとっては至ってありえて何の不思議もないごく普通のシンプルな話です。
要は世の中は変化しそれに伴い進化すると言う事です。

具体的な結論らしい言葉も無く書き進めましたが、とにかく色々な理由を含めWHATEVERとしてのアクションは次の段階へ向かい表層的に変化するかも知れませんが本質は普遍です。
なので部分的に見て理解できない物事があっても、まさに今回述べた“想像力”を意識し、それにはそれなりの理由がある事を理解してもらい、俺自身が実践してきたのと同じくそのプロセスを逆説的に辿る努力を怠らず真の理解につなげ、今後も支持してもらえれば嬉しく思います。
Date: 2011/01/22(土)


2010 ラストアップデート

今までWHATEVERでは一般的なブランドでは当たり前とされる“たくさん売る為に服のデザインをたくさん作る”という事はしてきませんでした。
またWHATEVER-SHOPでも一般的なお店では当たり前とされる“定期的なセールでの値引き販売”も基本的に行ってきませんでした。
理由としては、デザインをたくさん作ったり、定期的にセールをする、という仕組み自体が世の中の環境(自然環境や人の心など)を悪くする事の一部につながっている部分があると考えているからです。
なぜデザインをたくさん作ったり、定期的なセール販売などが世の中を悪くしていると考えているかの理由は、例えば“大量消費社会”などの言葉をキーワードに自分自身でいろいろ調べてみて下さい。
(それらに関わる事として、以下も面白かったりするかもしれません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%B2%B7%E6%97%A5 http://www.bndjapan.org/
けど、世の中の多くの人は、そういう事を知らなかったり、知っていても興味のない人がたくさんいるのが現実です。
知らない事自体に罪は無いと思いますが、一般的な生活に何の疑問も持たずに生きている事により、世の中の環境を悪くしている要素に自分達自身も当事者として組み込まれてしまっている事実も現実だと考えています。
なのでWHATEVERとしては世の中の環境に少しでも悪い負担をかけないための出来る範囲での行動の一つとして今までずっと、「定期的なセールをしない!!」「デザインをたくさんつくらない!!」べきだと考え実践、行動してきました。
そして、その意図を理解してくれているからこそ、WHATEVERやWHATEVER-SHOPを支持し続け、数少ないラインナップの中から数年前の古いデザインでも値引きのない定価で購入し続けてくれている人もいます。
そういう人達にはすごく感謝しています。
しかし先に述べた様に、現実はそれらの事を知らないたくさんの人達で世の中の大半は成り立っています。
そういった人達はデザインが少ない事やセールをしない事を「仕事をさぼって楽をしている!!」と誤解している人も多いかもしれません。
それらの人達が「数少ないラインナップの中から数年前の古いデザインを値引きのない定価で買うなんて馬鹿げてる!!」と思う気持ちは一般的な考えだとごく自然な事なのでしょう。
また中にはWHATEVERのコンセプトを深くしらなくても他の一般的なブランドに対するのと同様の気持ちで購入してくれる人もいます。
なので、買ってくれる側の人達の意識は十人十色でしょうが、WHATEVERの立場からすると同じだけのお金を払い購入してくれた人達に対して線引きなど無く、例えコンセプトの事を知らない人が買ってくれたとしても、感謝の気持ちはコンセプトを知った上で購入してくれた人に対する気持ちと同じであるべきだと考えています。
なぜかというと、“コンセプトを知る・知らない”とは無関係に、物を購入してくれる為のお金を生み出す為のしんどさ、大変さは皆同じで平等だと思うからです。
また現実的にも数年前の物が売れずにずっと在庫となると、デザイン労力に対しての精神性の部分は安売りをする気は無くとも、物理的な意味での服自体の経年劣化は免れません。
例えば、すごくクリエイティブなアイディアで労力を費やし創ったレストランのレシピがあったとして、そのレシピの価値自体は普遍であっても、実際に使用する食材が“新鮮な物”・“新鮮でない物”の違いなく同じ価格で出てくれば、お客さんは納得しない事と同じかもしれません。
そういう考え方にも気がつき、より多くの人達にWHATEVERの事を理解してもらい興味を持ってもらおうと考えると、今までのやり方を維持していただけではWHATEVERに広がりと進歩はありません。
なので今後は今まで支持してくれていた人達にも納得してもらえる事を念頭に置きつつも、+αの要素として一般的な社会で求められるよりたくさんのデザインをWHATEVERでつくったり、WHATEVER-SHOPでは物によってセール販売する事も目指していきます。

同じく、一般的な服のブランドでは当たり前とされ、よりたくさん売る事を目的とした“コーディネートの提案”、も着る人の主体性を奪ってしまい単なる着せ替え人形の大量生産の様になってしまうと考え、真のオリジナリティを持ってもらいたいと提案するブランドの立場と矛盾すると思い、モデルカット等の露出も基本的には意図的に極力控えてきました。
ですが今ではコーディネートを一例として提案する事により、まずは真似から入る事も若い人達の重要な人生経験の一つであり、WHATEVERの立場として真に重要なのは単なる真似で終らない主体性をしっかりと持ってもらい、真の個性化を促す為の行動と責任を同時進行的に担う事だと気がつきました。
なので今後はコーディネートの提案をするようなモデルカットの露出などももしかしたら増えるかもしれませんが、ここに述べた事を理解してもらい真の個性化を目指した服の着方をして貰えれば嬉しく思います。

総合的にまとめると、社会一般の方法を否定して反発した所で真の進歩は無く、かといって社会一般の方法に単に迎合して思考停止し、悪意無くとも知らぬ間に社会環境に悪要素をもたらす当事者になるのでもなく、社会一般の方法にのっとった上で+αを創造、融合する事こそが結果も意識した最速・最合理的な方法論と成りうるのではないだろうかという考え方を実践していくという事です。
さらに詳しくは「重要なお知らせ」なども合わせて読んで貰えると理解を深めて貰えるかと思います。

※ 早速、ここで述べたとおりWHATEVER-SHOP(http://store.whev.com/)ではこれから年末年始にかけて一部のアイテムの価格を下げて販売する予定になっています。
主なアイテムとしては、今後も定価販売で継続使用し続ける定番デザインの物の中でも服自体に経年劣化の見受けられるアイテムとなりますが、物によっては再販しない可能性の高い売り切れ終了となってしまうアイテムもあります。
数に限りがあるものなので、興味のある人は是非こまめにチェックしてみて下さい。


・先週末の夜はTIGHT BOOTH(http://www.tightbooth.com/)という大阪発スケートプロダクションの企画したイベントに行ってきた。
シンペイとオグの二人がフロントマンをつとめ、主にスケートの映像やアパレルを手がけている。
彼らは大阪を拠点としつつも現在の日本全国のスケートシーンをリードする一部も担っており、日本全国はもとより海外まで足を運び精力的に活動していて、今回はその動きの中で繋がったフランスのスケーターが創る映像作品の試写会やライブなどを融合させたイベントとなっていた。
結論から言うと大成功で大阪以外の他府県からもたくさんの人が遊びに来ていた。
そもそもFESNの森田の作品に敬意を持つ彼らの作品を、俺は昔一度、森田の作品と間違えてしまい、シンペイ自身にその事を伝えたのだが、その時のシンペイのレスポンスは素直に森田からの影響を自身で否定する理由が無いとの事だった。
一般論だと、自身の作品が他者の作品の影響を受けていると言われても受け入れにくく反発してしまう事が普通だと思う。
が、そうでなかった彼の器の大きさは近頃の彼の物創りのスタンスとその結果に正比例していると感じる。
まさに時代は現在進行形で創られ続けている事を感じる。
自分自身がいかにその進行形の“中”に居続けるかを意識できず、“外”からの傍観者になってしまっている事にも気がつけずに二言目には年齢やキャリアを口にし、影で「あの古いだけのオールドスケーターの人!!」と言われているようになってしまっては情けない。
俺はたまに考えるのだが、仮にスケート歴40年だと言っている50歳のスケーターがいたとしても、本質的なキャリアは恐らく俺の方が上の場合が殆どだと思う。
どういう事かと言うと、単に板の上に乗っている物理時間が圧倒的に違う場合が殆どだからだ。
数回前に書いた努力量の勘違いの話と同じで、37歳の現在でも一週間あたり何時間か板の上に乗り続けている俺と、40年前にスケートを始めたかもしれないが30年位前から板の上に立っているペースが一年あたりで数時間の人間では実際の物理時間でのキャリアの違いは明らかだ。
勿論、これはディスでもなんでもなく、純粋にスケートが何十年も前から好きで、物理的に板に乗ってきた時間は俺より短くとも、スケートシーンに身を置き続けている先人には敬意を持っている。
だがそのための条件としては真のキャリアの意味を勘違いしたり、偶然先に生まれただけにすぎない大していばる根拠の無い理由で無意味な先輩風を吹かせるような事の無い先人に対してのみだ。
話を戻して、とにかく良い夜だった。
が、実は良い夜だと感じたのにはもう一つの理由がある。
というのも、そのTIGHT BOOTHが彼らのパーカーのプリントを少し前に俺に依頼してきてくれていて、数日前には自分の部屋で一人でもくもくと彼らのパーカーのプリント作業をしていたばかりなのだ。
その状況下、週末の夜のイベントの盛り上がりでTIGHT BOOTHのアクティビティにリアルに触れ凄く嬉しく感じ、そこにたずさわらせて貰えた事の感謝を再認識できた事によりモチベーションが上がった。
他の地域の俺達と同世代のスケーターの事はわからないが、少なくとも大阪では俺やダルはジェネレーションの差を意識せずに皆とコミュニケーションをとっているつもりだ。
それはTIGHT BOOTHクルーとのコミュニケーションだけに限らない。
例えば、たまに三角公園にも滑りに来る“ハル”という高知県出身で大阪のSUPREMEでスタッフをしているスケーターがいる。
彼も精力的にスケートをがんばっているので、知っている人なら知っているというキャラクターなのだが、少し前には以前にここで紹介したカナダのアンドリュー・ポミアー(http://andrewpommier.com/)がデザインしてくれたHEROINの俺のシグネーチャーデッキに乗ってくれていたりもした。
昔から俺の事を知ってくれている人なら分かると思うが、10数年前の一般的なスケーターの俺に対する認知としては「変わり者で少数派のスタイル」という認知だった。
ある意味、シーンのメインストリームからは蚊帳の外といった感じも否めなかった部分があったという事だ。
勿論、俺は今も昔も同じスタンスなので、俺の態度がそうなった理由ではなく、周りが勝手に俺に対するイメージを作り、そのイメージで俺を捉えていたからに過ぎない。
が、今ではSUPREMEでスタッフをしているスケーターとスタイルやジェネレーションの垣根を超え一緒にスケートし時間を共有したりする。
さらに言うと数ヶ月前には、鳥取ダガーズの悠平というスケーターが大阪に遊びに来て一緒にスケートした。
なんと彼は9歳の小学4年生(5年やったかも?)に関わらずダガーズクルーであり、驚く事にこのBLOGも頻繁にチェックしてくれているらしいのだ。
しかも少し難しいと言いながらも内容もある程度ちゃんと理解してくれているらしく、彼曰くスケートに関しても「技を発明する事が好き」との事。
(今回、実は前半のセール販売に関する文章も、小学生ダガーズが存在する事を意識し、なるべく分かって貰い易くしようとチャレンジしたのだが、俺の能力ではどうしても難しい書き方になってしまい限界を感じました、悠平ゴメン!!)

とにかく、世の中は変化し、進化し続けているのである。
そんな世の中で、進行形の中にいるか、外から傍観するだけの「昔からずっと居るだけのおっちゃんスケーター」になってしまうかの選択も結局は自分次第。


・それともう一つ告知。
年明けの1月3日(月)のPM8:00頃(正確な時間は未定)、大阪のWHATEVER-SHOPにてINFECTION-SYSTEM PRESENTS「実験 part1」と称した映像(多分?)作品の上映を行います。
まさにその名の通り実験的な企画になり、イージーでフレキシブルなつくりになるかと思われます。
追加情報があれば、WHATEVER-SHOPのNEWS(http://www.whev.com/cgi/shop/su2_diary.cgi?)でも随時おつたえしますので是非チェック!!
もしかするとイベント限定アイテムなどの発売もあるかもしれません。


・恐らく、今年のNEWS&BLOGはこれが最後になるかと思われます。
来年も宜しくお願い致します。

では、皆さん良いお年を!!


Date: 2010/12/24(金)


プライスレス 本当の価値

“安い”と言う事を勘違いしている人が多い。
これは俺個人の“思い”ではなく事実だろう。
どういうことかを説明する。
例えば、INFECTIONのDVDは500円で売っている。
これに対して、同じ業界、同じ程度の生産数量でつくったDVDなら、一般的な価格は2000円〜3000円くらいだ。
その状況下、目に見えないコストは省くとして、プレス代などの製作費用を支払っているハマジが、知人、友人に500円のINFECTION-DVDをプレゼントしたとする。
となると、貰った側としては「500円程度の“安い”DVDを頂いた。」と考えてしまう人も多いとおもう。
実はそうではない。
というのも、先程述べた様に同じ業界、同じ程度の生産数量だと生産コストは同じ。
あくまでもだが、仮に1本あたりの生産コストが200円だとしよう。
それをだいたい2,500円くらいで売っている同業他社の人がいるとして、この人は1本売れればその差額の2,300円の利益が出たとする。
と言う事は、アバウトな計算だが1本売れればそれに対して11人の人に無料でプレゼントしてもチャラになる。
それに対してハマジの場合はどうだろう。
かなりアバウトに計算すると、1本売って300円の利益しか出ない。
と言う事は、1本売れても1.5人にしかプレゼントできない希少価値があると言う事だ。
ザックリ計算で11人を1.5人で割ると、2500円のDVDをプレゼントしてもらうよりもさらに約7倍の競争率をくぐり抜けた価値がある事になる。
だがこのパラドクスに気がつかずに「2500円のDVDをプレゼントしてくれた人の方が気前が良く、たった500円の安いDVDにはあまり価値を感じない!!」と勘違いした考え方をしてしまっている人は世の中に多いのではないだろうか。
これはプレゼントしてもらった人に限らず、500円出して買ってくれた人も同じ。
まさに全く逆である。
500円だから安いのでは無く、500円だから本当は凄く価値がある物だという事。
まさに“PRICELESS(プライスレス)”。
英語を苦手な人が日本語に訳すと「値段が無い」=「価値ない物」と誤解するかもしれませんが、そうではなく「お金で価値を図れないほどの物事」。
価格という目に見えたレッテルに意味は無いのです。
一見このパラドックスは不思議に思うかもしれませんが、実は世の中そんな事だらけ。
もし俺が神様なら、世の中をもっと皮肉っぽくして、物とお金のやり取りも勿論、人々の物事の行為の瞬間瞬間にまるでスーパーかコンビニのレジの如く、その人の頭の上にその行為に対する本質的な金銭的対価を誰からも見える様に「チーン!!」と出るようにすると面白いのですが。

言っている意味が解らない人は、簡単に詐欺に騙される人の予備軍かもしれません。
是非、気をつけて下さい。

追記
INFECTION-DVDだけでなく、WHATEVERやWHEV.COMに絡む殆どの物事はそういう“PRICELESS”なコンセプトが前提になっています。



Date: 2010/12/05(日)


いろいろ

時期によっては忙しく、更新頻度が下がってしまいます。
で、考えたのですが、無理に一回のアップで一つの内容でなくとも、アップできる時にまとめて上げてしまおうと。
という事で細かい時系列は無視して最近思った事や印象に残った出来事などなどです。


俺らくらいの世代になると、「昔は好きだった。」
になってしまう人も多いようだが、俺は今も好きです。
“ドラえもん”

俺はテレビを殆ど見ないので世の流れにも疎く、すでに有名な動画なのかも知れませんが、面白かったので紹介しておきます。



20年近く前からの凄く個性的な友人がいます。
彼の話する内容は他では聞く事の出来ないような話ばかりなので俺は彼に興味があり、結構好きな友人のうちの一人かもしれません。
俺の知る限り彼は感情に左右される事がない精神の持ち主なので、何かの物事を暴力的に制そうとしたりするような事は絶対に無いであろう人です。
まさに人畜無害といった感じかもしれません。
が、個性が強過ぎ、まれにその個性の強さが言動や外見にも現れてしまう為に見知らぬ人には理解されにくく、他の人に彼の事を説明するのに「個性の強い人!!」だとか、「独自性のある人だ」とかいっても、いまいち伝わら無い場合が多く、どうしようかと困ってしまいます。
で、最後には仕方が無いので社会的記号(というのかな?)を持ってして、
「彼は精神病なんです。」と言う事により、やっと理解してもらえます。




INFECTIONの“LIFE+α”でエンディングにも使用されていたOLEDICKFOGGY のDVDが発売されたようです。
実はメンバーの何人かはスケーターでもあります。
http://diskunion.net/punk/ct/detail/PNK1009-278


発売から少し経ちますが、LIBEのDVDも個人的にお勧めです。
ただ、INFECTION同じくスケートのトリックを重視している人には微妙な所かもしれません。
INFECTION-DVDの価格帯を意識してのライバル心からだと思うのですが、1000円と良心的な価格です。
http://fatbros.net/cgi/cart/shop/goods_detail.cgi?CategoryID=000019&GoodsID=00002578


大阪のWHATEVER-SHOPにもたまに顔を出してくれるTKKRさんが、パートナーのYOSSIEさんと組む、SAVAGE SUPPORT(http://savagesupport.blogspot.com/)。
そのEXHIBITIONがご近所のWASSさん(http://www.waaaas.com/)にてあったので行って来ました。
画像を見てもらえば分かるようにもはや説明は要らないかと。
噂ではパスヘッドも見に来ていたらしい。
Date: 2010/11/29(月)


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